第23回 ヤマト運輸株式会社 経営戦略部長 岡村 正さん (1/4)
C-Suite Talk Live、今回はヤマト運輸株式会社の経営戦略部長、岡村 正さんにご登場頂きます。
ヤマト運輸といえば、おそらく日本中の人が知っている、あの「クロネコヤマトの宅急便」ですね。宅急便の生みの親小倉昌男氏の生涯をかけた挑戦は、多くの人々に感銘と勇気を与えてきました。また、一ユーザーとしても、ほとんどの人が日常的に宅急便という存在に触れているはずです。それくらい、この会社の存在は今日の日本の暮らしに浸透したものになっていますね。 岡村さんは、2000年に広島主管支店長から人材開発本部プロジェクトマネージャーに異動されたのを契機に、人・組織分野への洞察を深めていかれます。2001年7月には、人材開発本部人事部人事課長にご就任。その後、2002年4月に東京主管支店長、2004年4月に執行役員北信越支社長、2005年10月に執行役員東京支店長、と要職を歴任され、2008年4月1日より現職です。 温厚な面持ちの岡村さん。しかし、「人・組織」のことを語る際の目には、強い思いや確信を感じます。まもなく創業100年を迎える、古くて新しいこの会社の中に、今何が芽生えようとしているのでしょうか。岡村さんのお話を伺いましょう。
91歳の会社
古森 こんにちは。今日はお忙しいところ有難うございます。「何か良いもの、ヒントになるもの」を世の中に発信したいという思いで、この対談を続けております。宜しくお願い致します。
岡村 こちらこそ宜しく。こういう機会に改めて語ってみることで、何かこちらにも気づくものがあるはずだと思っています。 古森 今やクロネコの車を見かけない日はないと言っても過言ではないくらい、御社の存在は日本社会全体にしみ込んでいるように思います。長い時間をかけて、ここまで来られたわけですね。 岡村 ええ、今年91歳を迎える会社です。創業者の小倉康臣が数寄屋橋に「大和運輸」を立ち上げてから、既にそれだけの時間がたちました。宅急便事業だけを見ても、もう35年になります。 古森 エピソードには事欠かない会社でしょうが、社の歴史を思うとき、岡村さんとしてはどのようなことが想起されますか。 ![]() 古森 しごくもっともなことですし、文字として書くのもたやすいでしょう。でも、教えとして人々の心に深く残していこうとしたら、決して容易なテーマではないと思います。 岡村 これらの教えには、創業者の小倉康臣の原体験が背景にあります。小倉は24歳の時、当時(大正2年)の勤め先だった会社で、工場長の職務から突然解雇されているんですね。かいつまんで言うと、小倉は一緒に働いていた人々を大事にしたために、「あいつは赤だ」という風評を流され解雇されてしまったわけです。 古森 大変な理不尽を経験されたのですね。 岡村 それが小倉の原点にあって、「こういうことがない会社を作りたい」という切実な思いが、創業時の彼を動かしていたのだと思います。 古森 そういう思いが、その後の幾多の困難を乗り越えていくうえでの力にもなっていたのでしょうね。 岡村 チャレンジの連続だったと思います。最初は関東一円のネットワークを敷きながらも、なかなか成長の波に乗れませんでした。運送業者という立場は弱く、運賃にしてもメーカーさんなど荷主企業の要請に抗うことは困難でした。 古森 理念を持って事にあたっても、世間の風は冷たいわけですね。そこからの転機は、何だったのでしょうか。 岡村 それが当時、「戦略的な飛び降り」と表現された宅急便事業の立ち上げです。百貨店の配送事業をやっていた関係で、個人の自宅に荷物を運ぶということに関しては強みがありました。ただ、色々同時に手がける余裕はなかったわけで、白物家電の配送ビジネスを全部断って、二代目社長の小倉昌男は宅急便に賭けたのです。 古森 大変な賭けですね。 岡村 ええ、但し単なる無謀な賭けというわけではありません。小倉なりに戦略や勝算はありました。その後の日本の経済発展と物流市場の本質的ニーズの動きを読んでいたのです。 古森 なるほど。しかし、先行きを読んでみたからといって、現業の中核ビジネスを捨てて未知の可能性に賭けるというのは、誰にでも出来るものではありません。やはりその根底にある事業への思いのようなものがあってこそ、賭けることも出来たのでしょうね。
|

