高齢人材の活用とジョブ型雇用

 

まずはじめに、我々の課題意識を共有したいと思う。

マーサーは、世界経済フォーラム(WEF)の高齢化社会に関するイニシアチブの一つとして、2020年4月に「Redesigning Retirement: Financial Wellness in the 100-Year Life」というプロジェクトを立ち上げた。

その取り組みの一環として、5月にアジアでのミニ・フォーラムを開催し、日本を含むアジア各地の企業から人事担当者が参加し、高齢人材の雇用に係る諸問題について議論を行った。そもそものプロジェクトの想定としては、高齢人材の雇用に関して高齢人材の能力に対して会社が持つある一種の「偏見」や人事制度上の問題など、さまざまな課題が存在するが、それらに対して官民でどのように対応すべきか、というテーマであった。そのような流れで議論が進んだのだが、日本から参加された方の以下コメントは、その場の議論を一変させるほどのインパクトをもつものであった。

「そもそも会社として継続雇用したいスキルを持つ高齢人材は1%にも満たない」

尤もであり、以降の議論が成立しなくなってしまうのだが、本質的に、その1%未満の優秀な人材の処遇をあれこれ議論するのも結構だが、マスである大部分の雇用をどうするのか、という命題だと解釈した。もちろん1%というのはあくまで感覚の話で統計を取ったわけではないが、読者の方々の感覚と比較していかがだろうか。また、これが実情と近いとすると、何が原因で、どのような対策を取るべきなのだろうか。

ここで一歩下がって、そもそも高齢人材の雇用が議論されている背景に触れてみたい。

言うまでもなく、前例を見ない寿命の延伸により、多くの国で社会保障制度をはじめとする、老後の生活保障制度の持続可能性が危ぶまれている。そのため、過度な社会保障制度への負担を軽減すべく、寿命の延伸に伴い、高齢人材が早期リタイアすることなく働き続ける環境を整えようという機運が高まっている。前述のWEFの取り組みもそのような背景の一環である。

日本においては厚生年金の支給開始年齢が段階的に65歳まで引き上げられ、かつ高齢者雇用安定法の施行に伴い、65歳までの雇用が実質的に義務付けられた。ただ、それまでの雇用のエコシステムの中では、60歳定年でスパッとリタイアすることを前提にさまざまな仕組みが構築されてきた。

マーサーでは、メンバーシップ型雇用の特徴を「会社が求める異動などの業務命令には原則従う見返りとして雇用保障が得られるという契約」としている。これを拡張すると、メンバーシップ型雇用における定年というコンセプトは、「会社が求める強制リタイア」とも解釈できるが、その見返りは何だろうか?筆者は、従来の「充実した終身の企業年金」、厳密に言うと、ただの終身年金ではなく、最終給与の一定割合が年金として支給される、最終給与比例型終身年金だと考える。最終給与比例制度とは、リタイア時の給与水準の一定割合(例えば4割、など)を年金として受け取る制度のことで、それまでの生活水準を維持しやすい特徴がある。

これはエコシステムとして非常によく機能しているのではないだろうか。会社は従業員にリタイアを強いる権利を有し、これを行使することでポストを空け、雇用調整を図り、組織の新陳代謝を促してきた。一方、従業員はゴールが見えているため人生設計が立てやすく、60歳到達後は国と企業から十分な生活保障があるため、さらに働く必要性もインセンティブも無い。結果、60歳以降を見据えたキャリア設計を講じる必要もない。双方にとってメリットの大きい仕組みだといえる。

これを破壊したのが、前述の通り、超高齢化社会の到来である。厚生年金の支給開始年齢の引き上げや、寿命延伸とともに増大する終身年金のコストに耐えられなくなった企業の確定給付型年金制度の廃止等により、60歳以降の生活保障が無くなった穴埋めは個々人が自助努力で、といわれる時代となった。60歳定年は維持され続けるが、もはやその見返りは無い。ある意味、会社が権利のみを保持し、見返りの提供を放棄したともいえる。本来の趣旨からすると、60歳定年と以降の生活保障(および国の生活保障政策)はセットで論じられるべきだろう。

上記リンクでも述べている通り、メンバーシップ型雇用は環境の変化に弱いが、超高齢化社会もまた、メンバーシップ型雇用が制度疲労を引き起こしている一因であるといえる。ではジョブ型雇用に移行すればこれらの課題は解決するのであろうか?

マーサーではジョブ型雇用契約の特徴として、個々人が自身のキャリアを主導して構築するとしているが、上記のコンテクストで拡張して考えると、個々人が自身の雇用も含めた人生設計を主導して構築するとも言い換えられる。そのような世界観には、「定年」という概念はそぐわず、個々人がいつリタイアするかを自律して考える、ということになる。

「公的年金の支給開始年齢」などの要素をいったん無視すると、いつリタイアするかを決める上で以下の3つの要素を考える必要がある。

 

1. Wealth – 先立つものがあるかどうか

十分に貯蓄のある人はアーリーリタイアも可能だろうが、そうでなければ働き続けるしか選択肢がない。

 

2. Health – 健康であるかどうか

老齢に達するにつれ、健康状態も思わしくない人も増えることだろう。その中でも働き続けるためには、良好な健康状態を保つ必要があるし、そうでない場合は早期のリタイアも選択肢に入れざるを得ない。

 

3. Career – 継続雇用に足るスキルを保持しているかどうか

働く意欲と良好な健康状態があっても、雇用に足るスキルを保持していなければ、望むような働き方が出来ず、選択肢が制限される。

 

すなわち、老後の人生設計は思い立ってすぐにどうにかなるものではなく、貯蓄やキャリア形成のように、若年の内から将来を見据えて自身で考えるべきものである、と、ジョブ型雇用では位置づけられるだろう。

ここに大きなミスマッチが生じる。すなわち、メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用に徐々に移行する際に、若年層はともかく、定年を控えた層についてはどうすべきか、という問題だ。メンバーシップ型雇用下においては、老後の貯蓄も、キャリアの形成も、会社の庇護のもと個々人では考えなくても何とかなったため、上記のような自律したリタイアメント・プランなど立てられようがないのが実情ではないだろうか。結果、冒頭の課題意識である、企業側で継続雇用したいスキルを保持する層が極めて薄い、ということにつながるわけであるが、逆に従業員の立場からすると、メンバーシップ型という(道義的な)労働契約にしたのは会社であり、老後の生活保障という梯子を外したのも、(国と)会社ではないか、と言いたくなるのも理解できる。

つまるところ、リタイアを控えた層については、会社としてジョブ型雇用に移行したとしても、従来からのレガシーとして、ある程度の老後の生活保障を提供せざるを得ない道義的責任があるのではないかと思う。確かにある程度の自助努力は必要だが、ムラの暮らしの安心・安定から、突然何の準備も無いまま荒野に置きざりにされ、達者で暮らせ、というのはいくら何でもあんまりだとは思われないだろうか。

幸か不幸か、いわゆる「就職氷河期」といわれた層については、終身雇用をはじめとするメンバーシップ型雇用への期待値が従来よりも薄く、自律したキャリア観を持つ人材も、それ以前のバブル世代等と比較して大きいように思われる。経過措置を設けるというと、世代間での反発は免れないだろうが、超高齢化社会の到来に伴う社会コストとして、国・企業・個人間での負担割合の議論はあるにせよ、どうにかして負担せざるを得ないと感じる。

最後に、定年制度は維持しつつ、確定給付型から確定拠出型年金制度へ移行する企業が多くみられるが、前述の通り、この動きは本来ミスマッチである。財務リスクの観点からこのような措置を講じるケースが少なくないのは理解できるが、そもそもメンバーシップ型雇用が従業員を引き付ける理由は、雇用保障をはじめとした安心・安定の生活保障である。定年は維持しつつ年金はDCで勝手にやれ、というのはある意味会社のいいとこ取りなので、会社は良くても、従業員から見ると安心・安定が損なわれ、会社に人生を託す信頼度の低下にもつながる。結果、異動や転勤に素直に従わない社員の増加や、場合によっては業務内容に不満を持って退職、というケースもあるだろう。

年金制度を変えたから人が辞めるわけではない。「その会社で働く価値」を棄損したから、従業員が辞めていくのだ、と肝に銘じたい。

執筆者:北野 信太郎(きたの しんたろう)

グローバルクライアントマネージャー シニアプリンシパル 英国アクチュアリー会正会員

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