祖父に想いを馳せる - コンサルタントコラム700 | マーサージャパン

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コンサルタントコラム 700

祖父に想いを馳せる

執筆者: 片岡 匠(かたおか たくみ)

プロダクト・ソリューションズ シニア コンサルタント

先日、父の誕生日祝いを兼ね、家族で食事をした。その際に、既に仕事を引退した父が最近では祖先のことを調べる活動に熱中していることを知った。

今どの程度まで調べたのかと父に尋ねたところ、父の高祖父(4代前)、つまり、私から数えると5代前までを調べ終えたとのことだった。ちなみに、5代前の私の先祖は福井の小浜藩の藩士だったようだ。

几帳面な性格の父は調べた事実を自分の知的欲求を満たすことだけに終わらせるのではなく、家系史として1代毎に知りうるかぎりの情報を纏めていた。まだ未完成だけれどと言って手渡された家系史には、10年以上前に亡くなった祖父のことも詳細に記述されていた。

私は昔からよく父方の祖父に似ていると親戚一同から言われてきた。容姿もそうなのだが、特に考え方や話し方が似ているらしい。また、特別に意識をしたわけではないが、結果的にこれまでの人生においても祖父と似たような人生を辿ってきているところがある。結婚をした年齢、出身校、滑ってしまった第一志望の大学、小さい頃になりたかった職業、趣味などだ。

父から渡された家系史を捲ると、今の私の年齢(33歳)の祖父のことが書かれていた。

33歳の時、祖父は第二次世界大戦下の中国に出征していた。送り込まれた戦場は非常に過酷を極めていたようで、一緒に起床した同じ部隊の人が夜には亡くなっているということが毎日のように続いていたと記載されていた。そして祖父はここで自分の人生は終わるものだと思い込んでいたようだった。

その後、祖父は幸運にもめぐまれて命からがら日本に帰国し、出征前に勤めていた某商社に復帰することができた。このとき37歳。当時としては決して若い年齢とはいえないだろう。その後44歳で、当時の社内ベンチャー制度のようなものを活用して新会社の設立発起人となった。人事と営業の2つの分野に精通し、最終的には取締役として、当時としては極めて高齢な71歳まで現役のビジネスパーソンとして務めあげた。

戦場下で命を掛けて生き抜いていた33歳から新会社を立ち上げる44歳までの11年間、祖父は何を思って生きていたのだろうか。想いを馳せながら、私にとっても現在の33歳から11年後を占う何かヒントのようなものがある気がした。祖父にとって、この11年間は人生の中で最も変化に富んだ11年間ではなかっただろうか。と同時に戦場から脱することができた貴重な幸運に恵まれた自分と、望みながら明日を断たれた戦場の人を思いながら何かをしてやろうと決意した11年間でもあったかもしれない。

私の今の主な職務は、人事コンサルティングファームで人事関連データ分野のコンサルタントとして活動するとともに、産業別のリレーションシップ・マネージャーとして営業的な仕事にも携わっている。祖父が人事と営業という当時としては珍しい2分野を組み合わせてキャリアを築いたように、私も人事と営業という2分野で仕事をしている。またしても祖父との共通点が増えた気がした。

そのようなことを思っていた矢先に、先日ある会社の人事の方とプライベートでお会いすることがあった。その方は非常に強い愛社精神を持っている方で、ご自身がこの会社で何をしたいのか、何が貢献できるのかを熱く語られていた。その方が所属する2兆円近い売上高の企業は、戦後間もなく私の祖父が立ち上げた会社であった。半世紀以上前に祖父を含めて7名でその会社を立ち上げた時、祖父もその方と同じような情熱を持って立ち上げに参加していたのではないかとふと想像した。

残念ながら、その会社とは今のところ仕事での接点はないが、いつの日か、お役に立てる機会が得られることを心から願っている。