平均寿命100歳の時代を考える –NHKスペシャル「NEXT WORLD 私たちの未来」 

 「いま先進国の寿命は1日5時間というスピードで延び続けている」
 「2045年には、平均寿命が100歳に到達すると予測されている」
 「しかも、若くて健康なまま歳をとる時代が来る」

今年の1月NHKスペシャル“NEXT WORLD 私たちの未来” で、世界の研究者の多くが予測する未来として紹介されていたコメントである。人間の遺伝情報の解析が進み“老化”のメカニズムが明らかになりつつある中で、そのメカニズムに働きかける研究の進化、再生医療の進化によって、それが実現されていくという予測がなされている。

どうも、これは夢物語ではないようだ。ゲノム解析と再生医療の進化は、かつての種痘の発明、ペニシリン等の抗生物質の発見といった疫学的な医療のイノベーションと同じようなインパクトを与えるであろうと考えられているのである。大きな違いは、以前の疫学的イノベーションは、新生児の死亡率低下に大きく寄与したが、今回のイノベーションは、平均死亡年齢の上昇という形で社会にインパクトを与えることだ。

この予測がもたらす現象は、"人は衰え、老い、天に還る"ことを前提とした、様々な社会システムに影響を与えていく。単純に考えても、社会保障、年金、各種生命・医療保険など、"年齢"と"平均寿命"を直接的な変数としてもつ仕組みに直接的な影響を与えることは明白である。

この影響は、我々が取り扱う人事の領域に強く作用していくことは明らかである。ちょっと、想像を膨らませてみた。

  • 社会保障の仕組みは、平均寿命の急伸を受け、年金制度における世代間所得移転という考え方が根本的に見直されるようになるだろう。政府による社会保障の仕組みは大きく変わり、かつ、企業年金等の平均寿命の延びを受けて限界を迎える制度に対して、柔軟に変更できるような環境整備が進むと考えられる。
  • 就労年齢を飛躍的に延ばすことが社会的に求められるようになり、定年制に対して廃止を求める法整備が進められていく。更には、高齢者を中心に、一定年齢層の就労に対して、社会的な目標値が定められる可能性もある。
  • 年次を経るごとに給与が上昇する仕組みは、必ず廃止しなくてはならなくなる。場合によっては、"年齢"を理由とした様々な人事施策に対して一定の社会的なペナルティーを求める法整備が進む可能性すらある。
  • 当然ながら、働く現場の意識において、年齢をベースとした上下関係については、払拭する必要が出てくる。年上の人が居ると"やりづらい"という意識があると、社会の変化に対して "企業文化" がその対応を阻害することになる可能性がある。
  • 働き手の側においては、自身の経済的価値を長年に亘って維持・向上させることが強く意識されるようになる。年齢が上がっていく中で、"手が動かなくなる"、"新しいことに対応できない"といったことが言えなくなる。いつでも、現場の第一線に戻って活躍できるような心身、能力面での維持・向上により取り組まなくてはならないであろう。
  • 一方で、会社の業務命令である技術・業務に長年取り組んだが、その技術・業務が不要なものとなり陳腐化した時に、その個人の経済的価値の喪失を誰の責任とするのか、そのリスクテイクの責任を"誰が負担するのか"が本格的に議論される可能性がある。企業側が、その個人が負うリスクに対して補償する義務を軽減することを求めるのであれば、業務命令に対する選択において、一定以上"自己責任"の要素を持たせる必要が求められるかもしれない。

等、考え出すと結構影響があると考えられる。

2045年までに残されている時間は、30年。冷静に考えると非常に短い。後、30年で平均寿命が100歳に到達するということは、今、70歳を迎えた人たちは、30年後ようやく平均寿命に到達することを意味し、まだ30年もの人生が待ち構えていることを意味する。30年と言えば、少し前ならば職業人生の期間そのものである。また、働き手にとってみれば、今、35歳を迎えた人たちが、今の制度が規定する定年を迎える頃である。

今、そこにある未来として。この問題への対応を始めていかなくてはならないかもしれない。

まぁ、私個人は、番組を見ながら、「俺も、80歳くらいまで働かないといけないのかもね」と言ったら、「じゃあ、だらだらしてないで、勉強したら」と、正月気分を妻に吹き飛ばされていた問題の方が大きかったですが。

著者
中村 健一郎

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