「言葉が上滑りしていない」日本本社人事の仕組み 

27 August 2015

「言葉が上滑りしている」

コンサルタントとして仕事を始めてまだ間もない頃、自分が作成した提案書のレビューを受ける際に、当時の上司から言われた言葉である。以来、特に提案書を作成する時、レビューをする時に、自分の中で強く意識している言葉でもある。

「言葉が上滑りしている」。おそらくは当時の上司の造語だが、自分はこう解釈している(Sさん、間違っていたら、すいません)。

「概念的には正しいことを書いているし、言葉面も一見して綺麗だが、中身の具体的なイメージが湧いてこない。表層的で、薄い」

ひどく乱暴な言い方をすれば、コンサルティング・プロジェクト(ビジネス全般と言ってもいいかもしれない)のほとんどは、初期構想・ビジョン・課題の仮説立案 → 現状調査・実態把握 → 課題の真因・打ち手の方向性の特定 → 具体的なアクションプランへの落とし込み・実行、という手順を踏む。「言葉が上滑りしている提案書」とは、このプロセスをそのまま言語化しているだけの印象を与えるものであり、プロジェクトの勘所の理解、アプローチの固有性・具体性が読み取れないものを指す。例えば、「調査します」とだけ書いてあっても、どういう仮説を置いてどういう切り口で調査をするのか、初期仮説の精度やアプローチの実現可能性に「うまくいきそうな匂い」が感じ取れないと、バイヤーの琴線には触れない。このように「言葉が上滑りしている提案書」は、まず、売れない。仮に売れたとしても、見返りはあまり期待できない。

翻って昨今、「日本本社における日本型人事の賞味期限切れ、欧米型人事への転換必至」という論調を目にする機会が増えたように感じる(常時語られていることではあるが、"ブームのサイクルがまた来たな" という印象である)。職能型人事制度から職務型人事制度への移行、感覚・経験に依拠した幹部選抜の仕組みから科学的なサクセションマネジメントの仕組みへの転換、新卒採用・終身雇用を前提にした採用・育成モデルからの脱却、エトセトラ、エトセトラである。

もちろん良質のコンテンツも多くあるとは思うが、中にはそれこそ「言葉が上滑りしている」印象を強く受けるものも少なくない。そういった印象を受ける文章には、以下の2つの前提のいずれか、あるいは両方を採用しているものが多いように思う。

  1. 日本型・欧米型の安易な二元論化
    「日本型の限界、よって欧米型」という単線・飛躍型のロジックを展開している文章がこれにあたる。今の仕組みの歪が目立つことが確かだとしても、だからと言って、なぜ一足飛びに欧米型の仕組みにしなければならないのか?(欧米型の仕組み、という言葉も非常に解釈の幅がある表現である) そもそも日本型と欧米型を二元論として極度に単純化した上で論理を展開しているが、対比の例として、前者を職能型人事制度、後者を職務型人事制度として考えるのであれば、「その間」にこそ落としどころが往々にしてあるものである。現状の仕組みの機能不全だけを根拠に一足飛びにソリューションに走っている感が強いこの手のロジックには、強い違和感を覚える。
  2. 「欧米型の仕組みが正しくて、それが日本に "馴染む"」という無根拠な前提
    「なぜ、職務型の人事制度が優れているか?なぜなら、役割に応じた処遇の方が、従業員の公平感・納得感が高いからだ」といった論調がこれに当たる。はたして、本当にそうだろうか?普遍的に言い切れるだろうか?確かに長く職能型の人事制度を運用してきた日系企業には、いわゆる "名ばかり管理職" が多くいて、大きな問題となっている場合が少なくない。そういった状況にメスを入れる一法として、職務的要素の取り入れを検討することは理にかなっているだろう。だが、すべてをポジションで厳しく管理すると、今度は会社の成長=ポジションの増数が起きない限り、"出世" が滞るという事態が起こる。はたしてそれが、あまねく日本人の目に「公平感・納得感が高い制度」として映るだろうか?(現に職務主義を諦める会社の多くは、出世のためのポジション乱設に歯止めがかからなかったケースが少なくない)

この手の議論をする際の「上滑り感」をなくすためには、「企業の固有性(ビジネス、組織・業務の在り方、企業文化・風土・社員に支配的な価値観等)」、「日本の固有性(日本の労働市場の特性、日本人の国民性(特に世代間ギャップ)等)」という2つの固有性を、いかに変革のテキストに分厚く込めることができるかが鍵だと思っている。そしてそれは広く一般的な論考だけに当てはまる話ではなく、個別企業の変革論を語る際にもまったく同じことが言える。"グローバル経営環境における日本本社の仕組みの在り方" を検討している企業にとって、いかに「自社固有の」ストーリーとして施策の意義を語れるかが、施策の迫力・説得力を決める鍵になるだろう。例えば職務主義の導入を検討する時、上記2つのような前提に安易に依拠しすぎていないか?「自社の事情」として語っていることが、実は隣の会社にもそっくりそのまま当てはまる話になってはいないか?

固有性のない話は、総論賛成・各論反対の分厚い壁に必ず突き当り、そこを打ち破ることはできない。あるいは、仮に "欧米型" の仕組みの導入にこぎつけたとしても、反対勢力の聖域を打ち崩し切れず、当初の考えの一部・大部分が換骨奪胎されてしまったりする。

最近思うのは、特にグローバル経営環境における日本本社の人事を考える時には、グローバルのスタンダード・特徴を考えるのではなく、むしろ日本企業・日本という国のスタンダード・特性に殊更深く思いを馳せなければならないのではないか、ということである。いずれにしても、この商売をしている以上、自分の資料が「上滑っている」印象だけはクライアントに持たれないよう心掛けたいものである。

著者
大路 和亮

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