HRDDの確認ポイント - クライアントからよく聞かれる質問を踏まえて 

29 9月 2017

マーサーのM&Aチームは、M&Aの様々なフェーズにおける支援を行っている。そのなかで、筆者は日本の事業会社が買い手・クライアントになるHRDD(組織・人事デューデリジェンス)・経営者リテンションの支援に従事することがよくある。今回は、筆者自身としての整理も兼ねて、クライアントからよく受ける質問を踏まえ、HRDDで確認すべきポイントについて考えてみたい。

なお、クライアント側ディールチームの構成は案件により様々である。サイニングまでは、経営企画部の数名のみの体制であることもあるし、人事を含む各部門からすでに数名ずつのメンバーがアサインされていることもある。いずれの場合も、筆者の日常的なカウンターパートは通常1-2名程度に限られ、プロジェクト期間中、ほぼ毎日やりとりをさせていただくことになる。カウンターパートがどこの部署か(人事かそれ以外か)によっても質問の粒度は異なる印象はあるが、カテゴリとしては、概ね次の3つがある。

  1. 人件費・報酬
  2. ローカルHRプラクティス(現地での人事面での慣行)
  3. 経営者リテンション

はじめに断っておくと、デューデリジェンス期間中に生じるすべての質問にお答えすることはできないことが多い。時間的な制約の中で、精査すべき重要かつ喫緊の内容と、それ以降に検討すべき項目とをきちんと仕分け、優先順位をつけて取り組むことが効率的かつ効果的なデューデリジェンスにつながる。

1. 人件費・報酬

買い手は、ビジネスDDの一環として、対象会社の事業計画の精査や、買収後のシナジーのシミュレーションを実施する。この際に、コスト計画の前提のひとつである人件費の確認が必要になり、「対象会社の現在の人件費は妥当か」「事業計画に織り込まれている人件費の伸び率は妥当か」といった質問を受けることがある。

このような質問は、人事コンサルタントであれば即答できるのでは、と期待されるのだが、実は結構難しい。意外に思われるかもしれないが、デューデリジェンスの時点では、全従業員の賃金が開示されてもそのすべてをベンチマークすることは通常行わない。実際のM&Aにおいては、買収後も1-2年は報酬水準を維持することが買収契約に織り込まれることがよく見られ、離職率が極端に高いなど特殊な事情がなければ、詳細に調査しても手を打つ必要がないからである。また、報酬ベンチマークを実施する際には、対象企業の規模・各ポジションの職務の大きさなどを詳細に定義して行うため、"ざっくり"高いか低いかという検証は実際にはあまり意味がないことが多い。

よって、この質問を受けた場合は、可能な限り「対象会社の報酬ポリシーは妥当かどうか」を確認の上、お答えすることにしている。報酬ポリシー(マーケット水準のどのあたりを目指しているか、どの業界・会社を比較対象と捉えているか)は、通常のデータリクエストの項目に入っており、公開企業であれば開示されていることもあるので、そのアプローチが常識的かどうかを確認した上で、PMIの課題検討に向けた示唆を得ることができる。

2. ローカルHRプラクティス(現地での人事面での慣行)

フルスコープのHRDDでは、対象会社の人事制度を一通り棚卸しする。その結果、日本では見慣れない報酬項目・ベネフィットが入っていることがあり、それぞれ、どのような仕組みなのかという質問をいただく。正確を期すために各領域・各国の専門家に確認する必要があるため、若干の時間を要する場合もあるが、大抵はそれなりのタイムラインで回答が可能である。

筆者個人の好奇心も手伝い、この手の質問には喜んで対応させていただくのだが、特に報酬項目やベネフィットは各国のプラクティスに沿って運営されるのが通常なので、買収してもすぐ変更することは基本的にない。よって、仕組みの詳細を把握するというよりは、ローカルのHRマーケットプラクティスに照らして違和感があるものがないか、あればどの程度のインパクト(買収後の統合の手間、コスト等)が想定されるのか、という点にフォーカスして確認することが重要である。精査すべき代表例としては、確定給付年金の有無・積立状況などの財務状態の確認が挙げられる。

なお、対象事業のカーブアウト等、買収のスキームによっては、買収後に買い手(クライアント)が対象会社の人事制度一式を立ち上げなくてはならないケースがあり、その場合はHRDDの段階で各制度の詳細を把握することが望ましい。

3. 経営者リテンション

経営者リテンションは、(1)対象会社経営者の報酬・雇用条件の現状把握(現在の報酬パッケージ、雇用契約内容等)、(2)買収によって生じる影響の考察、(3)新報酬・リテンション施策の提案、(4)経営者との合意形成(の支援)、という流れで進める。複数の買収案件を経験されているクライアントを除いては、あまりなじみがないテーマであり、いただく質問も桁違いに多い。

また、一つひとつの案件がユニークで、定番の回答がないという点で、先の二つのカテゴリの質問とはやや性質が異なる。

例えば、「経営陣に支払うリテンションボーナスの原資は、どこから出すのか(Valuation上、減算すべきか)」という質問がある。対象会社から現金が出て行くので、「価格調整の対象にすべき」というのが一義的な回答になるが、買い手と売り手のパワーバランスや他の交渉案件の状況にもよっては難しいこともある。同様に、「買収後の業績達成度に連動するアーンアウトの仕組みをとる場合、リテンションボーナスはコストとして算入するかどうか」というのも、交渉次第の側面がある。

一番よく聞かれるのは、「経営者のリテンションに失敗したらどうするのか」ということである。日本の事業会社は重要ポジションに空席が出来た場合のリスクを過度に心配する傾向が強いように感じられる。日本以外の国では、主要ポジションの採用マーケットが開かれているので、はじめから過度に選択肢を狭めすぎないことが重要だと考える。そもそも、首尾よく計画通りのリテンション施策で合意ができたとしても辞めるリスクはゼロにはならない。

「経営者がリテンションに値するかどうか」という質問もときどきある。HRDDの時点では、経営陣一人ひとりへのアクセスは通常限定的であり、経営者としての能力・資質を測ることは難しい。そのため、買収後に必要に応じて専門家によるアセスメントを実施することをお勧めしている。

 

以上、事業会社が買い手の場合のHRDDでよく聞かれる質問を思いつくままに列挙してみた。印象に残っている質問は困った質問なので、答えられなかった質問が多く並んだ気がする。

筆者自身、事業会社の経験が長いので、聞かれたことには何か答えなくてはならないというマインドが常にある。特に普段やり取りをしているカウンターパートの方が、その上司に何と言われたのかなどを勝手に想像してはその期待に応えようと時にはジタバタしてしまう。しかし、経験豊富なマーサーのシニアメンバーに言わせると、必要なことが必要なタイミングでわかることが最も費用対効果のあがるHRDDであり、それが本来クライアントのためになる。

最終的にディールが成功し、広い意味でのクライアントの意思が実現することをゴールと考えて、より価値あるご提案ができるように研鑽したい。

著者
野坂 研

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