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なぜ日本では給与が上がらないのか?

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なぜ日本では給与が上がらないのか?
Calendar2019/03/12

米中貿易戦争による経済停滞リスクが大きくなっていますが、少なくともつい最近までは、長期間、好景気が続いています。けれども、個人からすると「そんな実感ない」というのも岐で良く聞かれる話です。

「そんな実感があったのはいつなの?」と考えると、おそらくバブル期に遡ります。バブルが崩壊した後、1990年代後半以降20年以上に渡り、その"実感のなさ"が続いています。なぜ、このような状況になっているのでしょう? 私は「戦後の労働政策とそれをベースにして出来上がった多くの人のキャリア感」がこの状況を作っていると考えています。

高度成長期、その後、成長率は落ちますがバブル期までは、各企業における収益規模の右肩上がりの成長が従業員にも果実として配分されていました。しかし、バブル崩壊後「競争力の維持や景気の下降局面への対応に向けて"固定費をあげたくない心理"が経営者に強く働いた」ことが、報酬、特に月例給与が上がらなくなった原因だという論調を良く見ます。

国内の経緯だけで考えると、そのような側面はあるわけですが、欧米ではリーマンショックなどがあっても、その後、日本より報酬水準が上昇しています。この事実から、比較を自らの過去でなく海外とすると「不景気に懲りた経営者が報酬を上げなくなった」というのは説明として不十分です。

経営者にとって、そのマインドシェアが高いステークスホルダーは、一般的に、株主、顧客、従業員です。長期的には違う見方もありますが、短期的にはその三者は企業が提供する広義の利得を、株価や配当、単価あたり提供される製品・サービス、人件費という形式で取り合っています。ここで言う"取り合う"という意味は、いずれかのレベルをあげると、短期的には他のいずれかにマイナスの影響を与えやすい、ということです。

従来、日本企業では企業間の株式の持ち合い比率が高く、相互に何も言わないことが習慣になっていたこともあり、株主の要求には無頓着でした。しかしながら、近年は、金融市場のグローバル化により外国人投資家が増え、政府から様々なガイドラインが出されたこともあり、経営にとっての株式市場や株主の地位は大幅に高まりました。その結果、上場企業のROEは高まり、近年では平均で10%程度となり、海外に大分近づくところまで来ています。ROEを上げるためには、「収益をあげる」「コストを下げる」「必要な資金を借入金で賄う」等の方法がありますが、この文脈の中でコスト面から「人件費を抑制したい」というインセンティブが、経営者に働くことは容易に想像ができます。

日本は顧客の品質要求が最も高い国です。製品品質は言うにおよばず、サービス品質も"おもてなし"という言葉に代表されるよう世界最高レベルです。他国においては、細やかな面での製品品質やサービス品質は相当程度落ちます。海外でスーパーに行くと良く分かりますが、レジで待ち時間30分は普通です。十分な人数を配置しません。郵便局では、郵便局の建物内に入り窓口にならんでいても、クローズの時間になれば終了。ワークシェアリングが導入されている企業では、社内で引き継ぎがされず、顧客側が毎回状況を説明することで引き継ぎをする。製品品質という観点で見ても、新品で購入した製品に傷があるのは当たり前です。

日本ではこういう不愉快なケースは少ないし、顧客も高品質の製品・サービスを当たり前のこととして求めていて、そうでないと購入をしない。これは、従業員のワークライフバランスを悪くしている最大の要因でもあり、ビジネス的に考えると、コストパフォーマンスが悪い国になっています。良い品や良いサービスを安く、というのが企業の基本姿勢であり、顧客側に提供する単価あたりベネフィットが大きく、従業員の負担は重く、儲けが少ないのです。結果、従業員の配分も増やしにくい。

これと比較すると、従業員というステークスホルダーは、利得の取り合い、という観点からすると、弱い立場にあります。株主、顧客と並んだ時に、従業員にもフェアに利得を回してくれ、というプレッシャーがかかりにくいのです。従業員が報酬を上げてもらう最大の交渉材料は「上げてもらえないなら辞める」ということであり、即ち、労働力を市場原理の中で売買することなのですが、それが働かない。株式市場も商品・サービス市場も市場原理が働いているため、経営者はそれらに対するベネフィットの大きさを競争せざるを得ないのですが、従業員に関して言うと市場原理・競争原理が働いていないので、報酬という利得をより多く配分するインセンティブが無いのです。

例えば、事業再生の局面で時折見かけるのですが、財務的に非常に厳しい状態の時に、日本の従業員の賞与月数を大幅に減らし、給与をカットするようなことがあっても、海外拠点の従業員にはそれを適用しません。なぜならば、そうしてしまうと大量に離職が発生し、事業の継続が難しくなるからです。

また、違う例で言うと、日本においては流動化している人材を雇用する外資系企業と新卒一括採用で長期雇用をする日系企業では、給与水準が管理職で、2~5割程度、場合によってはそれ以上に違います。市場原理が働かないことで、一人当たり報酬水準という意味だと日本企業はその抑制に成功しています。

それでは「なぜ、日本では労働力流動化が進まず労働市場が十分に形成されないのか?」ということが、問題になります。その歴史的な理由は、戦後の労働政策です。

日本の雇用契約の重要な特徴は「会社は原則として社員の雇用を保障する。その変わり異動・転勤は会社の裁量」というところにあります。労働基準法にそのように書かれてはいませんが、法律、判例、行政指導、慣行などから定着している社会のコモンセンスです。この考え方のもとで、幾つかの事象が発生しています。それは例えば、

  • 異動・転勤は会社の意思であり、個人からするとキャリア形成の自律性がない。従って、自らの能力を計画的に高め市場価値を付けることが困難である
  • キャリア形成の責任が会社側にあるため、法律だけでなく会社・個人間に「雇用を保障すべき道義的・心理的責任」が発生する
  • 社員の立場からすると雇用が保障されているためフリーライダーが発生する
  • 会社の立場からすると一度採用したものの解雇が難しく固定的賃金の上昇や増員に慎重になる

あたりです。総じていえば、

  • 自律的なキャリア形成が困難、かつ、雇用が保障されているため、個人のキャリア形成意識が失われている

のです。

つまり、「雇用保障+会社裁量による異動・転勤」が「個人の自律的キャリア形成意識」を削ぎ「人材流動化+労働市場の形成」を妨げていて、利得配分の際の「ステークスホルダー間の争い」に負けていることが、従業員の報酬があがらない理由です。

この人材の流動性の低さは、おそらく日本経済の成長にも悪影響を与えています。現在、個々の企業が成長する主な源泉はデジタル化とグローバル化ですが、日本企業はその分野での迫力に欠け、欧米企業、中国企業と比較し成長ができていません。新卒採用中心の閉じた環境ではこのような専門家は育たず、外部から採用をして内部でそのタイプの人材を再生産する必要があるのですが、人材の流動化を前提としていないマネジメントや組織はそのようなことが不得意です。GDP成長率にも悪い影響を与えているでしょう。

個人に関しても、雇用が保障され、キャリアの自律性がない状態なので、自発的に必要なリスキルに取り組むインセンティブがない。結果、労働者全体としても新分野に対するLearning Agilityが高まらないのです。

日本の労働政策は雇用重視であり、それは一種の社会保障として働き続け、失業率、また、社会不安を抑制する効果がありましたが、今、これは個人、企業、国家、それぞれにとって、一層の成長に向けた足かせになっているように見えます。

国、企業、個人、それぞれの立場により、できることは変わりますが、事実上の雇用保障や会社主導の異動・転勤の見直し、キャリアに関する個人の自律、労働力の流動化促進が、個人の給与、ひいては、会社や日本全体の生産性向上に寄与するのではないでしょうか?


白井 正人

執筆者: 白井 正人 (しらい まさと)
執行役員 組織・人事変革コンサルティング部門 日本代表

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