「インドネシア人はどんな人ですか?」 - ダイバーシティに向けて 

30 7月 2019

標題の質問はインドネシア出身の筆者が初めて日本に来たときによく友人に寄せられた質問です。正直、自分も聞かれるまでにはまともに考えたことがありませんでした。納得いく答えを探りに探って辿り着いた答えは「わからない」でした。

上の答えは決して質問からの逃避や放任ではなく、そもそもインドネシアが多種多様な人口から構成され、簡単に一括りにすることができないからです。広さからして、インドネシアの左右の距離はなんとアメリカの東海岸から西海岸までの距離を余裕に超えています。その上に、言語の数もパプアニューギニアの次に世界に多いようです。そういう理由で、一集団としてまとめることは無理のようです。

地元にいるとき、「何々人はどんな人ですか?」という質問はあまり飛び交っていないというのが筆者の勝手な印象です(もちろんステレオタイプ的に考える人もいますが…)。理由を追求してみると、皆はそもそも違う人なんだと納得いくからと思っています。均一性【ホモジェニーアティ】(多様性【ダイバーシティ】の反対;homogeneity)な社会に生きていれば本来たくさんな集団から構成されているものを一つとしてまとめがちになり、違うことをやるとその集団のなかで浮いてしまい、やがてユニークと呼ばれることになり、そのユニークさを失くして「出る釘は打たれる」的にやるのか、そのユニークさを表彰して「出過ぎる釘は抜かれる」的にやるかの二択です。

インドネシアで当たり前の多種多様な見方に接してきた私から見ると、日本人の考え方や物の捉え方は、やはり均一的だと感じます。身近の例として、皆さまはチャーハン(地域によっては焼き飯)の形をご想像いただけますでしょうか?きっと、一つ真ん丸の小さいお皿の上に半円を描くようなやや黄色のご飯が盛られているのを想像されるのではないでしょうか?この形は食品サンプルやキーチェーンとかにもある上に、アニメや漫画の中に描かれるチャーハンもきっとこの形から遠ざかっていないはずです。これは正しく標準化した固定概念【ステレオタイプ】が働いているからです。

定番なインドネシア料理の一つにナシー・ゴレン(チャーハン)があります。飽くまでも筆者の考えですが、ナシー・ゴレンを誰に聞いてもきっと違う形を想像しているはずです。何故かといいますと、街に出回っているナシー・ゴレンはそもそも様々な形がしていて標準化されていないからです。いや、ナシー・ゴレンっていうのは大きいお皿の上に鶏もも肉と目玉焼きやレタスなどが盛られているものがあるじゃないかというインドネシアに詳しい読者がいらっしゃるかと思います。全くその通りで、しかしその一方でナシー・ゴレンといっても地域によって様々な種類があるのです。下記は、筆者が撮った地元の色々な形をしているナシー・ゴレンの写真です。

昨今、外国人労働を活用しようとする企業が多くいらっしゃいますが、規定上で多様性【ダイバーシティ】を謳うのみならず、標準化した固定概念【ステレオタイプ】を先ず突破する必要があり、より身近なところから多様性【ダイバーシティ】に気を配ってみては如何でしょうか?

著者
リー・マイケル

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