日本企業のクロスボーダーM&Aの交渉は難しいのか 

15 10月 2019

マーサーでは、毎年60件を超える日本企業のM&A案件を支援している。特にクロスボーダーM&A案件においては、売り手側としても、買い手側としても日本企業側が交渉で苦労する場面が多いと感じる。なぜか。特に買収・投資案件においては、買収・投資後のシナジー創出・バリューアップが鍵となるため、いかに買い手が契約交渉で成功を収め、適切な価格と条件で買収契約を締結し、クロージング後に所期の目的を達成するかが重要になるのは言うまでもない。

日本企業のM&Aのトレンドとしては、不採算事業・企業の売却と海外企業買収・投資が件数も規模も多い。少子・高齢化で国内市場がますます縮小する中、業界内の企業の群雄割拠状態がなかなか解消せず、海外に市場を求める必要性は増している。一方で、残念ながら日本企業の国際競争力が落ちているとの見方もある。IMDビジネススクールの世界競争力ランキングで、日本の総合順位は前年から5つ下がり30位だった。また、米国経済誌Fortuneが発表した世界の大企業500社(2018年度版)で日本企業は52社ランクインしているが、約20年前の1998年の100社から半減している。海外企業投資・買収の失敗は、日本企業の国際競争力を高めていくうえで、致命傷となりうる。

日本企業がM&Aにおける国際交渉で苦労する理由は、今までいろいろ挙げられてきた。日本人特有の価値観がその一つである。万葉集の中にある、「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」との通り「言挙げ」する(言葉に出して伝える)ことを潔しとしないこと、また、言挙げせずに通じ合う(お互いに言葉に出さずに信頼関係を構築する)ことを大事にしてきた日本的価値観である。通常のM&Aにおいては、買収・投資対象会社を1社に絞った後に、買っても良いか、いくらで買うか、どのような条件で買うかを決めるための精査(デューデリジェンス)を行う。M&A成立に影響のあるディールブレイカーの有無の確認に加え、(1)買収価格(プライシング)に影響のある事項、(2)契約条件に影響のある事項、(3)ポストクロージングに影響のある事項をビジネス、財務・会計、法務、人事、IT、環境等の各分野で検証することが求められており、特に(1)・(2)については確認仕切って交渉に臨むことが大事である。確認することは買い手の権利であり、情報を出すのは売り手の義務である。売り手としては価格や契約条件に影響する不都合な情報は出したくないので、情報の秘匿性や人手不足(売り手側で限られた数名に情報開示して進めているために対応が間に合わない)等を理由に出し渋ることがある。売り手側としては仲介の投資銀行からの助言ももとにした作戦であることも多いのだが、「今さらにプッシュするのは失礼ではないか」「せっかく構築した良好な関係が崩れるのでは」と買い手側が主張せずに遠慮してしまうケースもある。交渉をする以前に、交渉に必要な材料が揃わないということになる。

加えて私が大きな理由と考えていることの一つに、百戦錬磨の売り手が身に着けている交渉のアプローチを、買い手が身に着けていないケースが挙げられる。交渉は米国では学問として定着しており、ビジネスプロフェッショナルが学ぶビジネススクールやロースクールで交渉学は必須科目になっていることが多い。ハーバード流交渉術やウォートン交渉術という本を目にされた方もいらっしゃると思う。私もシカゴ大ビジネススクールの必須科目としてリンダ・ギンツェル教授の心理学をベースとした交渉学の授業を受けた。理論の体得と並行して諸外国の学生と実際に交渉を行う内容であったが、日本人の私でも高い評価を得ることができたので、身につけて行使できれば、(少なくともケーススタディの中では)言語能力が相対的に低くても良い交渉結果が導かれる体系的なアプローチである。日本においては、学問としてはあまり普及してこなかったが、例えば故瀧本哲史さんは京都大学で「交渉論」の授業を担当され、著書「武器としての交渉思考」は非常に分かりやすい。いずれにしても、交渉相手は、こういったアプローチを身に着けた上で対応してくることを知っておくことが重要である。

米国においてもビジネス交渉の基本スタンスは、自分と相手にとって互いに利益の得られるポイントを探し、自分の目標を達成しつつ相手側も利益が得られるようにし、交渉が極めてうまく進むと互いにメリットのある長続きする関係がもたらされるというものだ。相手を出し抜いたり利用したりするWin-Loseの交渉は良くないとしており、日本人にとっても親和性のあるスタンスだ。交渉には準備・実行・合意の三段階があるが、自分の目標・要求・ニーズを明確にし、相手の分も想定し、合意の選択肢の仮説を作るのが以下の「準備フェーズ」で、交渉の成功は80%が準備にかかっていると言われる。

  1. 目標と交渉範囲を明確にする:M&Aの交渉においては、事前に対象会社のアセットやリスクがデューデリジェンスの段階で良く把握できている必要がある。そのうえで、目標(ゴールと交渉打ち切り点)を設定し、相手の目標と双方にとって合意できる交渉範囲(Zone of Possible Agreement, "ZOPA")を想定する。交渉の目的は目標を達成することなので、関係構築やWin-Winを追求すること自体を目標にしてはいけない
  2. 要求とニーズを明確にする:買い手としての要求とその背景にあるニーズを明確にする。要求と条件を伝え、その背景や理由にあたるニーズを伝えないと無用な条件交渉に発展するリスクがある。ニーズを明らかにすることにより、不等価交換(一方にとってそれほどコストがかからないが他方にとって大きな価値があるものを見つけ交換する)が成立する可能性や、要求とは異なるが、ニーズを満たす別の解決策が生まれる可能性が高まる
  3. 複数の選択肢を持つ:複数の選択肢の中から、交渉決裂の際にとり得る最善の選択肢(Best Alternative to a Negotiated Agreement, "BATNA")を明確にし、相手のBATNAも想定する
  4. Opening Moveの設定:アイスブレイクをした上で、自分の要求の最初の伝え方を考える。低く伝えるとそこを上回ることはないので、妥当な範囲で高く設定するのが大事

このように書くと当たり前のようだが、相手側のスタンスも想定する必要があるので、実際に限られた時間内で限られた情報をもとに準備するのは一仕事である。

なお、組織の意思決定権者と交渉担当が異なるため、交渉の場でものが決められないケースも見られる。事前に投融資委員会、経営会議、取締役会で承認を得た内容をもとに交渉を行うため、事前の承認事項から乖離する点については、持ち帰りになるという点である。この点は、上記のように交渉戦略を事前に綿密に立てておくことで一定程度回避ができる。

実際には、近年、買い手がいくら主張しても情報が出てこないケースや、買収契約締結後のクロージング準備の段階で、信じがたいような売り手優位の提案をあの手この手で行ってくるなど一筋縄ではいかないケースも増えており、交渉に向けた準備と実行の難度が増していることを実感している。マーサーでは諸外国のコンサルタントと常時協働しており、各種交渉のご支援で蓄積した知見を更なるご支援に活かしていきたいと思う。

著者
島田 圭子

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