日本企業の「遅い昇進」を考える 

29 1月 2020

日本型人事制度の特徴として、かつてから指摘されてきたポイントの一つが「遅い昇進」1 です。「遅い昇進」とは、入社後10年、長い場合には15年間にわたって昇進に大きな差がでない日本企業特有の人事慣行を指します2 。「遅い昇進」は、日本企業に特有の新卒一括採用および長期的な労働関係と密接に繋がっているものですが、近年、こうした労働慣行自体に変化の兆しが見えています。例えば新卒採用については、通年採用や卒年制限の撤廃、あるいは一部の高度専門性人材を中心に初任時オファー額の引き上げといった動きが始まっています。長期的な雇用慣行についても、業績低迷時や将来の成長に向けて先手を打つ構造改革・M&Aや、逆に雇用の枠組みを超えた労働力(いわゆるギグ・ワーカーなど)の活用が始まっています。こうした変化の中で、従来日本企業の特徴であった「遅い昇進」自体も変化/緩和していくものと予想されますが、そもそも「遅い昇進」は日本企業においてどのような意味を持っているのでしょうか?また、その「遅い昇進」はどのような背景のなかで成立してきたのでしょうか?本稿では、マーサーの報酬サーベイを用いて「遅い昇進」の現状を概観したうえで、内部労働市場の視点、心理的契約の視点、そして、ダイバーシティの視点から、日本企業の「遅い昇進」を考えたいと思います。

TRSデータで見る日本企業の「遅い昇進」

まず、マーサーの総報酬サーベイ(TRS)データを用いて、「遅い昇進」の現在地点を概観したいと思います。昇進タイミングそのもののデータではありませんが、昇進年齢の大まかな推定値として各キャリアレベル(e.g.マネジメント、エグゼクティブ等)別の年齢分布のうち若い方から10分の1(10%ile)にあたる年齢を用いてみたいと思います。この推定値を用いて、日系企業と外資系企業間を比較すると、【図1】の通りマネジメント層、エグゼクティブ層ともに外資系企業の方がそれぞれ5歳程度若い年齢になります。これらの推定昇進年齢の間の差分をとって、次のキャリアレベルに到達するまでの大まかな滞留年数を推定すると、【図2】のとおり日系企業の方が昇進に長い時間を要することが分かります。特に、その差はプロフェッショナル層からマネジメント層への昇進において明確です(外資系企業の5年に対して、日系企業で12年)。

これらのデータから、長らく指摘されてきた「遅い昇進」は現在でも存在している様子が推測できます。また、この傾向は、従前の研究で指摘されてきた日本と海外の労働市場間の比較のみならず、日本国内における日系企業と外資系企業の間の比較でも見受けられる点も興味深いですね。

では、こうした「遅い昇進」は、日本企業にどのような意味合いをもつのでしょうか?

図1:各キャリアレベルへの昇進年齢の大まかな推定

※マーサー総報酬サーベイ(JP TRS 2018、N = 579社)のうち従業員数1,000名~5,000名規模の企業を算入

 

図2:各キャリアレベル間の昇進に要する期間の大まかな推定

「遅い昇進」のもつ意味合い: トーナメント理論による解釈

日本企業が「遅い昇進」を行ってきた背景の一つは、トーナメント理論から説明できます。スタンフォード大学のエドワード・ラジアー教授ら3が提唱したトーナメント理論4は、昇進による報酬増加の期待値(昇進時の報酬増加額×昇進の可能性)が昇進候補者にとってのインセンティブになることを説明しています。この理論の面白いところは、上位ポジションの報酬(究極的には社長の役員報酬額)が十分高く設定されていることは、そのポジションにいる当人にとってインセンティブであるだけでなく、企業内の全員にとってインセンティブになるとしている点です。ただし、そのインセンティブの強さは当然ながら個人が自分の昇進可能性をどの程度に認識しているか(パーセプション)に依存します。トーナメントが進むほど到達可能性が低くなるため、組織内の上位ポジションほど報酬水準が(直線的にではなく)加速度的に高くなっていく現象を説明する理論でもあります。

トーナメント理論の枠組みで考えると、日本企業は合理的に「遅い昇進」を選択することで、新卒採用時から少しでも長く「キャリアの天井を見せない」期間をとり、昇進可能性のパーセプションをなるべく下げない 5ようにすることで従業員のモチベーションを引き出してきたと解釈できます。さらに言えば、日本企業の管理職や企業の報酬水準が海外(特に欧米)企業に比べて顕著に低く抑えられている背景の一つは、「遅い昇進」によって昇進可能性のパーセプションが相対的に高く維持されてきた分、もう片方の要素である昇進時の報酬増加額をさほど引き上げなくても十分なインセンティブをかけることができた点にある、という解釈もありえます。

「遅い昇進」が機能してきた背景 (1)内部労働市場の視点

「遅い昇進」によって昇進可能性のパーセプションを維持することで従業員のモチベーションを維持しようという方策が機能し続けるには、多くの前提条件があります。重要な前提条件の一つは、個人の処遇は原則として内部労働市場(ILM)によって決まる、という点です。もう少し詳しく言えば、組織への入り口は原則新卒採用の一か所であり、その時点で「同期」は同質・横一線であり、かつ、その後の昇進は組織内部での相対的パフォーマンスの序列で決まるという前提です。

しかしながら、こうした前提は徐々に過去のものになりつつあります。例えば冒頭に挙げたような新卒採用の変化の兆候や、徐々に進みつつある役割・職務主義型人事制度への転換6、あるいは経済産業省の研究会7が掲げる雇用コミュニティの変化(企業の主導による同質的・安定的なクローズドコミュニティから、自律的個人による多様で動的なコミュニティへ)にもみられるように、組織への出入りのタイミング・方法の多様化、同僚のなかでの属性、知識・能力(KSAs)、組織への貢献方法の多様化、そして、外部労働市場の重要性の相対的な上昇が徐々に進行しています。昇進は組織内部の競争で決まる(かつ、その競争は入社後しばらくの間横並び(に見える)8)という前提の維持が見込めない以上、「遅い昇進」によるインセンティブ機能は徐々に期待できなくなっていくのではないでしょうか。

「遅い昇進」が機能してきた背景 (2)心理的契約の視点

第二に、組織と個人の間の心理的契約の視点から考えてみましょう。心理的契約とは、必ずしも労働契約に書き込まれていない、雇用主と従業員の間の相互への期待を指します9。入社時点で取り交わされる労働契約のなかに、具体的な権利・義務を網羅的に書き込み、事前合意することは現実的には不可能です10。そのような中で、組織と個人の間にはお互いに主観的な期待(心理的契約)が生まれ、その互酬性(例:自分が期待に応えれば、会社は自分の期待に応えてくれるはず)に則って自分の心理的な義務を果たそうとします。一方で、心理的契約を反故にされたと感じたとき、従業員には顕著なモチベーション・コミットメントの低下、離職意思の増加等の悪影響が起こることが指摘されています11 。心理的契約の概念は、長年に亘って海外の組織行動学の中心的な研究テーマの一つであり、また、近年注目を集めるEmployee Experience(EX)の議論の中でも、エンゲージメントに大きな影響をあたえる要素の一つとして言及されています12。しかし、心理的契約は決して海外企業に特有な現象ではなく、日本企業の人事マネジメントを理解する上でも重要な切り口になります。

神戸大学の服部泰宏准教授によれば、日本企業の人事制度・運用は、その大部分を従業員との間の心理的契約に支えられてきました13。日本企業と従業員の間の心理的契約は、短期的・具体的な表層レベルの契約と、通常揺らぐことのない深層レベルの心理的契約に分類され、深層レベルにある心理的契約が維持されている限りにおいて、表層レベルでの多少の不履行は許容されてきたと分析されています14。ここでいう深層レベルで取り結ばれている心理的契約の内容は、「企業は従業員に長期的な雇用を保障する一方、従業員は企業に際限なく貢献する」といった相互の期待です。このような相互の長期的・無限定的なコミットメントのもとで、長期的な人材育成や柔軟な人事ローテーションが可能になり、強い忠誠心が育まれ、日本型人事制度の強みが支えられきたと考えられています。そして、この深層レベルの心理的契約の存在は、従業員たちが「遅い昇進」のなかでもその時を待つことができた理由の一つでもありそうです。

しかしながら、こうした深層レベルの心理的契約についても、以前のようには維持できないというのが実際でしょう。人員削減やM&Aのニュースは珍しいものではなくなり、既に従業員側(特に若い世代)は長期的雇用が保障されるとは信じてはおらず、また自分が定年まで一社で勤め上げると思う割合も少ないでしょう15。更に、今年に入って雇用主側からも明示的に長期的雇用保障の難しさに関する言及が増えています。これは、深層レベルの心理的契約を企業側から積極的に期待値調整・結びなおししようとする一つの試みと理解できます。このように労使相互の長期的コミットメントが薄まっていく中では、「遅い昇進」がやってくるその日まで、際限ない貢献をしながら待ち続けるほどのインセンティブは期待できないでしょう。

「遅い昇進」が機能してきた背景 (3)ダイバーシティ/ホモジニティの視点

最後に、従業員のダイバーシティの視点から考えてみましょう。日本企業と従業員の関係性の基礎を形成してきた「長期的雇用保障と無限定の貢献との交換」のうち、前段では特に長期的雇用保障の前提について言及しましたが、もう一つの要素である貢献の無限定性16についても大きな変化が訪れています。これまで、日本企業が長期的な雇用を保障する代わりに、従業員は勤務時間、勤務地、そして職務内容といった点に細かい制約条件をつけずに企業の裁量に委ねてきました。こうした無限定性は、「総合職」という枠組みや人事主導のローテーションを実現するとともに、「遅い昇進」によるインセンティブを機能させてきました。

早稲田大学の大湾教授ら17は、「遅い昇進」が日本人男性おける「ラットレース均衡」を支えてきた一方で、女性の活躍を阻む要因にもなってきたと指摘しています。たとえゴール(昇進)は遠くても、いつか実現できると信じて競争に参加するには、横一線にスタートする「同期」に後れを取らないよう仕事以外のあらゆる役割へのコミットメントを下げて、仕事に無限定に関与する必要(やや乱暴にいえば「残業、転勤、配置転換等々いつでもOK」である必要)がある、とも解釈できるかもしれません。

しかしながら、従業員の多様性がより重視・尊重される現在において、無限定に仕事を最優先にしている層のみを前提に人材マネジメントを行うことは現実的ではありません。従業員のダイバーシティと限定/無限定性の議論になると、ジェンダーや年齢/ライフステージといった目に見える特徴の多様性(表層のダイバーシティ)にのみ焦点が当たりがちですが、能力や志向性、価値観といった目には見えない特徴の多様性(深層のダイバーシティ)についても同様のことが言えます。表面上均質にみえる大卒・男性・正社員・総合職の層のなかでも”24時間戦って”昇進を目指したいかどうかは個人ごとに異なる現在、「遅い昇進」によるインセンティブに期待通り反応する層は減っていくのではないでしょうか。

簡単なまとめと今後の方向性

ここまで、まず日本企業の「遅い昇進」の現在地点をTRSデータから概観したうえで、日本企業が合理的に「遅い昇進」を選択する理由を、トーナメント理論を用いて解釈しました。そして、そのインセンティブが機能してきた前提が変わってきている今、「遅い昇進」によるインセンティブ効果は従前のようには働かないであろうということを、(1)内部労働市場の視点、(2)心理的契約の視点、(3)ダイバーシティ/ホモジニティの視点から見てきました。それでは、今後の方向性としてどのようなことが考えられるでしょうか。

一つは、報酬水準を引き上げる必要性です。トーナメント理論の二大要素のうち、昇進可能性のパーセプションによる長期間の動機づけが難しくなる以上、もう一つの要素である昇進時の報酬額を引き上げることは有効でしょう。特に、上級管理職や高度エキスパート人材など、要求水準が高い/到達可能性の低いポジションの報酬水準を引き上げない限り、優秀人材が日本企業をあえて選び、残り続け、昇進を目指して努力し続けるということは期待できません。また、非管理職層についても、これまで昇進可能性のパーセプションによって動機づけしていた部分が今後弱くなるとすれば、それを補うだけの報酬水準引き上げ(または従業員にとって本当に魅力のある非金銭的報酬の増加)を検討する必要があるでしょう。

もう一つは、心理的契約の結びなおしです。日本企業と従業員の深層レベルの心理的契約が変化を求められている点は、前段で指摘しました。しかし、実質を伴わない心理的契約を惰性的に維持していると、それを反故にせざるをえない場面で、一気に従業員の意欲・コミットメントに悪影響を及ぼしかねません。企業側として、長期的な雇用保障も(遅いかもしれないが確度は高そうな)昇進もコミットできなくなっている今、それでは企業は何を交換できるのか。Employabilityの上昇、Alumniとしての人材ブランド、あるいは在籍期間に体験したことそのもの(Employee Experience)など、個社によって重点は異なるでしょうが、「従業員から期待してもらって本当に大丈夫なもの、かつ従業員にとって魅力あるものは何なのか」を問い直し、コミュニケーションし続け、期待値を調整する必要があるのではないでしょうか。

一方、こうした心理的契約の結びなおしを従業員側から見ると、無限定・横並びでの社内競争へのコミットが唯一の道ではなく、自分の特徴・状況・志向性に合った貢献の仕方を調整できる余地が生まれること自体は、ポジティブな変化といえます。しかしながら、ご想像の通りこれは必ずしも「楽」な変化ではなく、常に外部労働市場にさらされ続けることと表裏一体の関係にあります。「無限定にコミットメントするので企業の状況によって柔軟に配置・指示できて便利」ということでも、「企業主導のローテーションによって広げた複数部門・職種にわたる視野や経験、企業内の人間関係」でもないとしたら、何を交換できるのか。自分なりの知識・技術(KSAs)やネットワークを積極に広げることや、自分が最もフィットし活躍できる環境を探す(orつくる)ことの主体が徐々に個人側に移ることを自覚し、自律的にキャリアを形成する必要がますます増していくのではないでしょうか。

「遅い昇進」慣行は現時点でも残っているようですが、その前提条件が変わり始めている今、その変化にどう向き合うのかは、日本企業・働く人の双方にとって大きな岐路となりそうです。

1 例えば、小池(2005)『仕事の経済学』(第3版)東洋経済新報社.
2 八代(1997)『日本的雇用慣行の経済学』日本経済新聞社.
3 Lazear and Rosen (1981) “Rank-Order Tournaments as Optimum Labor Contracts.”, Journal of Political Economy 89(5), pp.841-864.
4 E.ラジアー(1998)『人事と組織の経済学』日本経済新聞社.
5 海老原・荻野(2018)『人事の成り立ち』白桃書房. では「誰でも階段を上れる」仕組みと表現されている。
6 労務行政研究所『人事労務諸制度実施状況調査』によれば、2013年調査(労政時報3847号)から2018年調査(労政時報3956号)にかけて、職能資格制度は54.7%→50.0%へ減少する一方、職務等級制度は12.6%→24.1%へ、役割等級制度は27.6%→30.9%へそれぞれ増加している(N=214社(2013年調査)、440社(2013年調査)。企業規模計)。
7 経済産業省 経営力強化に向けた人材マネジメント研究会(2019)『経営競争力強化に向けた人材マネジメント研究会 報告書』(平成30年度 産業経済研究委託事業としてマーサージャパンが受託).
8 石原(2014)『日本企業の昇進・選抜基準とその合理性』リクルートワークス研究所研究報告9, pp 20-29. の指摘によれば、「遅い昇進」よりもかなり早期に実質的な選抜が進んでいる(「早い選抜」)ことを示す研究も複数ある。
9 Rousseau (1989) “Psychological and Implied Contracts in Organizations”, Employee Responsibilities and Rights Journal 2(2), pp.121-139.
10 服部(2016)『ルソー「組織における心理的契約」』日本労働研究雑誌669, pp.56-59.
11 Coyle-Shapiro and Parzefall (2008) “Psychological contracts.” In: Copper et al. (Eds.) The SAGE handbook of Organizational Behavior, SAGE Publications, pp. 17-34.
12 Maylett and Wride (2017) “The Employee Experience: How to Attract Talent, Retain Top Performers, and Drive Results”, Wiley.
13 服部(2018)『多様化する働き方と心理的契約のマネジメント』一橋ビジネスレビュー 66(1), pp8-28.
14 Morishima (1996) “Renegotiating Psychological Contracts: Japanese Style.” In Cooper et al. (Eds.) Trends in Organizational Behavior 3, Wiley, pp.139-158. Cited in 服部(2018).
15 マイナビ転職(2019)『2019年新入社員1か月後の意識調査』(N=800名)によれば、今の会社で定年まで働き続けると思っている新入社員は約2割(21.8%)に留まる。
16 鶴(2018)『日本の雇用システムの再構築』REITI政策シンポジウム.
17 Kato, Kawaguchi, and Owan (2013) “Dynamics of the Gender Gap in the Workplace: An economic case study of a large Japanese firm”, REITI Discussion Paper Series 13-E-038.

著者
阿久津 純一

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