役員が備えるリスクと社会保険 

13 3月 2023

役員という立場

役員という言葉を聞いてどのようなイメージを浮かべるだろうか。代表取締役社長などといった威厳に満ちた長大な肩書、会社の運命を左右する機密文書を秘めた重厚なデスク、背後の広漠たる窓から降り注ぐ潤沢な光を浴びた眩い輪郭、白い手袋がハンドルを握る黒光りの高級車から降り立つ悠然とした姿… 一握りの人物のみがたどり着く役員という地位について、社会保険と福利厚生保険といった観点から考えてみたい。 

なお、一口に役員といっても慣例や根拠法令により範囲がさまざまだが、このコラムでは主に会社法およびその施行規則が定める人物を念頭に置く(取締役、会計参与、監査役、執行役、理事、監事など)。社長といえば東宝のドル箱「社長シリーズ」で主演を務めた森繫久彌を著者は連想してしまうが、社長といった肩書だけでは会社法上の役員とはならない。 

会社における役員は、従業員とは一線を画す特別な存在であり、それ故に備えなければならないリスクの性質が従業員のそれとは異なる。役員の業務に対して会社、従業員、取引先、株主などから損害賠償請求をされるといったリスクに備えるための会社役員賠償責任保険(D&O(Directors and Officers)保険)はその代表的な例だろう。D&O保険に関しては昨今、「5年間で販売2倍」、「上場企業の約4分の1が未加入」といった新聞記事の見出しでも注目を浴びている。 

そういった役員業務に関わる特有の保険とは別に、従業員と同様のリスクも当然抱えている。役員になったからといって、業務中の事故のリスクが従業員と比較して著しく低下するわけではない。ここからは業務中に起こる事故に備える、労働者災害補償保険(以下、労災保険)に着目してみたい。

 

役員と労災保険

労働者災害補償保険の名が示すとおり、この保険は労働者を対象とした保険である。一般的には役員は労働者を使用する立場(使用人)であるため、原則として労災保険の対象外となっている。ただし、役員であっても労働者性が認められ「使用人兼務役員(兼務役員)」とみなされて労災保険の対象となったり、業務の実情を考慮し、「特別加入制度」の適用となったりする場合もある。

実際に労災保険の対象外となった場合、補償にどういった影響が出るのか、他の主たる社会保険制度とともに下記表に簡単にまとめている。

 

 

表1 従業員と役員の社会保険の加入資格の比較

  加入資格
従業員 役員
労災保険
遺族への死亡補償 ×
後遺障害補償 ×
医療補償 ×
休業補償 ×
雇用保険
失業等給付 ×
健康保険 / 厚生年金
遺族補償
医療保障
後遺障害補償
傷病手当

 

役員は、報酬面など一般的に厚遇されている立場であるとはいえ、こうして比較してみると労災保険の対象外となった場合の影響はそれなりにある。特に、社内で従業員から役員に就任した際、それまであると思っていた補償が対象外となってしまうと経済的なリスクを抱えることが想像できる。 

上記の表はあくまで一般的なケースとなるが、健康保険・厚生年金に関しては役員も従業員と同様に加入義務がある。雇用保険に関しては、補償の性質上、福利厚生保険などによる代替が難しい。そもそも、失業したときの補償に、人事権を持つ役員が対象となると、自分で自分を解雇して失業手当を受けるといったモラル・ハザードも起こりうる。

労災保険に関しては、遺族への死亡・後遺障害や本人の医療補償部分に該当する経済的リスクに備える傷害保険や、休業補償部分に対応する所得補償保険といった福利厚生保険で扱うような商品によって、ある程度の代替性がある。会社としてこういった代替案を導入するのも一つの選択肢として検討できるだろう。 

序盤で名前が出た森繁久彌の話に戻るが、氏が理事長を務めていた日本俳優連合1などが参加し、芸能界について様々な問題提起をする懇談会が1984年に複数回開かれていた。その話し合いの一環で、芸能従事者が労働災害保険の適用とならない点が挙げられている。

日本において、俳優や音楽家などは税法上では事業主となり、労働者ではないため労災保険の対象外となっていた。しかし、2021年4月1日からようやく芸能従事者にも、上記で言及した労災保険の「特別加入制度」が適用されるようになり、懇談会での問題提起から実に37年越しの悲願達成となった。

役員に関しては労災適用拡大へ向けた目立った動きはないが、行政主導の変革には時間を要するのが実情である。だからこそ、会社独自で整備できる制度については積極的に採用することも検討すべきだろう。会社として社会保険の穴を埋めるといった考え方については、過去のコラム「健康保険適用の拡大から考えるセーフティーネットとしての福利厚生保険」も参照されたい。

 

1 「社長」森繫は役員であったか判別できかねるが、こちらは事業協同組合であり、根拠法令となる中小企業等協同組合法において、理事長はれっきとした役員となる。

 

著者
瀧野 啓太
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