C-Suite Talk Live 第48回 三菱ふそうトラック・バス株式会社 (1/4) | マーサージャパン

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C-Suite Talk Live 第48回 (1/4)

三菱ふそうトラック・バス株式会社

GUESTS:
人事担当常務 人事・総務本部長 江上 茂樹さん

C-Suite Talk Live 第48回 ~対談エッセンス~
  • 最初は典型的なドメスティック・キャリア
  • ドイツ人社長の秘書役~なじめない英語環境
  • グローバルな仕事環境への衝撃的覚醒
  • オトナになっても、変われるんだ!

最初は典型的なドメスティック・キャリア

今回のC-Suite Talk Liveは、三菱ふそうトラック・バス株式会社 人事担当常務 人事・総務本部長の江上茂樹さんにご登場いただきます。

江上さんは、1995年に東京大学経済学部経済学科をご卒業後、三菱自動車工業株式会社へ入社されました。入社時から人事部門の仕事に就かれ、川崎製作所にて人事・人材開発・採用に関する業務をご担当されました。2003年1月に 三菱ふそうトラック・バス株式会社分社と同時に同社に移籍。人事・人材開発の仕事からCEOアシスタントを経て、組織管理まで幅広い分野の仕事を経験されました。2007年4月に人事・総務本部 組織戦略部長、2008年11月に開発本部開発管理部長、2010年9月に人事・総務本部 人材マネージメント部長を歴任された後、2010年12月より現職でいらっしゃいます。

過去に海外に住まれたわけでもなく、いわゆる純和風の環境でまっすぐに育って来られた江上さん。日本の一流大学を出て日系企業の象徴のような会社に入社されましたが、今や環境は大きく変わり、外資系グローバル企業の組織環境下でマネージメントの仕事をしておられます。「和風グローバル人材」のロールモデルとなるお一人だと思います。

 

古森 お忙しい中にお時間をいただきましてありがとうございます。この対談シリーズ、各界でご活躍の方々に率直なお話を伺って、読者に何かひとつでもヒントになることを提供できたらという思いで続けております。本日はよろしくお願いいたします。

江上 こちらこそ、よろしくお願いします。

古森 江上さんだからこそお話しいただけることがある、と感じて今回インタビューをお願いをいたしました。日本企業がある時期を境に外資系になり、その中で、日本企業に就職したはずの江上さんも外資系の世界に加わりました。そして、今は人事担当の役員にまでなっておられます。最初からいわゆるグローバル人材だったわけではなく、ある意味、究極のドメスティックな人材だった江上さんが、ここまで大変化を遂げられた道筋というのは、きっと多くの人にとって刺激になるはずです。

江上 なるほど、そういう視点であればお話しできることはあるかもしれません。

古森 お願いします。まずは当初の江上さんのこと、つまり、純日本風の青年(笑)であった頃の江上さんのことをお伺いできますか。

江上 そうですね。まず私は、典型的な日本の受験システムの中で育った人間です。小学校のときに日能研に通い、受験して中高一貫校に入り、大学受験は一浪して河合塾に通い、大学に入って・・・という。ちなみに中高生の時代は、カトリック系の中高一貫校に通っていたんですよ。

古森 え?いきなり純日本風ではない感じですが・・・。

江上 いえいえ、それが違うのです。私はその頃から、海外とか「外国人」という存在がとても苦手だったのです。一般的に見れば、先生も「外国人」の方が多かったですし、英語や海外の文化に親しむことが出来る環境だったとは思います。しかし、私はそれがとても嫌でした。中高生の頃は、ほとんど「外国人」の先生とも話をしていませんでした。

古森 なるほど。中高生時代の江上少年は、純日本風というよりも、ややアンチ海外、アンチ「外国人」に傾いていたわけですね。

江上 そうなのです(笑)。

古森 その後、日本の国立大学へ。就職の際には、海外への道などは考えなかったのですか?行こうと思えば色々な企業に行けたのではないかと思いますが。

江上 まったく考えていませんでした。学生時代には留学など考えたこともなかったですし、英語も受験勉強以上のことはしていませんでした。就職活動の際にも、いちおう数社だけ外資系もまわりましたが、やっぱり違うなと。これは自分の肌にあわないと思いました。絶対日本の企業じゃなければ嫌だと思って、三菱自動車に入りました。

古森 まさに「The Japanese company」という感じの会社だったわけですね。

江上 そうです。これこそ「The Japan」だと。

古森 そうはいっても、三菱自動車も当時から海外とのビジネスには取り組んでいましたよね。そちらに回るという可能性もあったのではないですか。

江上 可能性としてはそうかもしれませんが、私は非常にドメスティックな仕事につきました。最初の配属は、ここの窓から見えますけど(注:新川崎の江上さんの執務室の窓)、あそこの工場です。あの工場の人事で約10年過ごしました。

古森 日本の製造業において、工場人事で入るというのは王道パターンのひとつですね。

江上 ええ、まさにドメスティック一筋という路線でした。かつ、そのことに自分は何も疑問を感じないばかりか、「これがいいんだ」と思っていました。完全に人事の実務屋さんです。三菱自動車の本社が決めたことを工場で実行する、運用する、という仕事です。工場の人事に関して、一部を除いてほとんどのことはやりましたよ。

古森 約10年というと、1995年に入社されていますから、2005年頃までということですね。2003年にダイムラー・クライスラー(当時)の資本が入って外資になってからも、まだ2年ほど工場人事だったわけですか。

江上 いえ、本社人事にはなりましたが、オフィスは工場にありました。また、会社は外資になったものの、最初のうちは依然として人事は「The Japan」の世界でした。少しずつドイツからの変化は押し寄せてきていましたが、まだまだ極一部の人間だけ関係しているという感じで私自身にはあまり影響はありませんでした。

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