C-Suite Talk Live 第58回 昭和産業株式会社 常務取締役 広域営業部・製粉部・飼料畜産部担当 新妻 一彦さん (3/4)

C-Suite Talk Live 第58回 (3/4)

昭和産業株式会社

GUESTS:
常務取締役 広域営業部・製粉部・飼料畜産部担当 新妻 一彦さん

アジア重視の海外展開

西田 今、海外とのお話が出ましたが、御社が掲げる6つの基本戦略の中で、「海外事業の強化」というものがありますね。実際に中国とベトナムに工場をお持ちです。

新妻 海外展開は、20年近く前に北米のポートランドに大きな工場を作って冷凍食品にチャレンジしたのですが大失敗に終わりました。失敗した理由ははっきりしており、まず箱モノから作ってしまったことです。それが尾を引いて、これまで海外事業はどちらかというと積極的ではなかったのですが、世の中の流れは海外であり、少子高齢化で日本国内のマーケットだけではやっていけないことは明らかなので、今少しずつ始めているところです。

西田 後の重点地域というと、やはりアセアンですかね。

新妻 そうですね。考えているのは、まずは時差のない国から。中国など。それから英語を第二外国語としている国であれば相互理解がスムーズなのではと考えています。2050年まではアジアの時代と言われているので、日本が高度成長期で味わったことを体現できるのは人口の伸び率が大きいアジアだろうと。

西田 タイでは子会社がでんぷん関係の出資会社を持っていますね。他国への展開についてはいかがですか?

新妻 将来的にはミャンマー、インドネシア、マレーシア、インドへの進出も考えていますし、人材を探しています。できれば小さく生みながら徐々に膨らませていく。一気にやるのではなく。他の食品会社の大手さんと違い、独自で100%作ってやっていく規模ではないので、現地のパートナーとコラボレーションが必須で、そのためパートナー探しが成功の鍵となっています。

西田 パートナー探しで特に気を付けていることはありますか?

新妻 メーカーであることを忘れないことですかね。投資会社、資本家ではなく。物を作る喜び、楽しさ、そういったものを分かち合えることが最低限必要な部分であるということ。商品は日本のものをアレンジしながらローカルに合わせるという形で。

西田 日本からの駐在員はどう選ばれているのですか?

新妻 公募制をとっています。当初は会社が選抜して行かせていましたが、今は明確なキャリアプランを明示して、例えば中国だとまず1年間北京大学か北京外語大学に語学留学させて、その上で最低3年間中国事業にたずさわるという条件付きで派遣しています。

イノベーションを起す土壌作り


西田 同じく、6つの基本戦略の中に「新たな分野への挑戦」とありますが、イノベーションの推進という観点から、どのような取り組みをされていらっしゃるのでしょう。

新妻 新たな挑戦ということでは、従来は総合研究所(基礎研究)、商品開発センター(アプリケーション)と生産現場という3つの場がありましたが、それを一つの車輪として考える。つまり、RD&E(Research, Development & Engineering)として統合してシナジーを得るという方向です。

西田 具体的には?

新妻 ブラッシュアップ戦略とクリエーション戦略の2つを進めていくということです。ブラッシュアップ戦略とは既存事業において、いかに安く作るか、いかに効率よく作るか。生産効率のアップや最適な生産体制、拠点の整備、そして安心・安全を追究する。

西田 一方で、クリエーション戦略とは?

新妻 弊社には液糖・ぶどう糖を作る事業があるのですが、さらに機能性を持った糖質の研究開発、設備投資を行っています。例えばパンなどは焼いた後の老化を抑えたい。従来は酵素、製法で抑えるということをするんですが、糖分を生かして、発酵の後どんな糖が残るとしっとり水分を保持することができるのかという研究があります。また、大豆たんぱくの種類を多く作ることなど。全く新しいものを持ってくるというわけにはいきませんが、既存のものを生かしながら付加価値、高機能化を進めていくということですね。

西田 二つの異なるベクトルをもった戦略と理解しますが、両戦略を実行するに当たり、組織体制は別々なのでしょうか。

新妻 チームで動いていますが、両方連携しないといけません。ニーズは作れないので、既存のマーケットの不(注釈:これは不満、不足の不です)の部分を解消することがニーズ、そこから派生して新しいものを創り上げます。実は、全く新しいものへの挑戦は過去何度もしているんですよ。例えば弊社のロングセラー商品にてんぷら粉があります。1959年業界に先駆けて開発し、今でも消費者の皆さんからご愛顧いただいている商品ですが、この発売とほぼ同時期にフレンチドレッシングも販売していたのです。

西田 品開発でも業界をリードしていたんですね!

新妻 そうなんです。インスタントラーメンもそうです。1960年代前半北海道、東北エリアで結構なシェアを持っていました。でもやめた理由は、穀物を基盤とした会社で、自分たちがやると色々なしがらみがある、ある意味、お客様と競合してしまうことへの配慮があったのだと思います。そのように斬新なものをかつてはやっていたんです。ただ、どうもマーケットより早過ぎるということがあり、上手く育たなかった。マーケットが成熟するまでにタイムラグがあったということですね。

西田 ドレッシングやインスタントラーメン開発など、マーケットに先んじるものを生み出す人材、土壌がもともとあったということですね。会社としてどのような仕組みがあったのでしょうか?

新妻 好き勝手にやることを許すという風土があったのだろうと思います。ただ、逆にお聞きしたいのは、目標管理制度が入ると、成果を数値化しなくてはならなくなり自由闊達に研究しづらくなってきたという状況についてです。10年後に金になるものを今やって目標管理でプラスになるかというと難しい。それを見られる上司や経営陣がいないと育たなくなってきているという現実があり、実はそこが一番の弱みかもしれません。

西田 そこは運用でカバーするということだと思います。有名なのが住友スリーエムさんの15%ルール、好きな研究に15%分の時間を作っていいよというものですが、昨今では日東電工さんがその応用で100%ルールというものを作っていらっしゃるという話を聞きました。2-3年間は好きなことして良いというルールの下で、イノベーションを生み出そうとしています。斬新なもの、画期的なもの、世にないものを作るにあたり、まさに会社としての度量が問われているのかもしれませんね。

新妻 なるほど。思いきりが必要なんでしょうね。

 

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