C-Suite Talk Live第23回ヤマト運輸株式会社 経営戦略部長 岡村 正さん

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第23回 ヤマト運輸株式会社 経営戦略部長 岡村 正さん
Calendar2010/07/01
C-Suite Talk Live 第23回 ~対談エッセンス~
  • 91歳の会社
  • 理念と経済合理性は矛盾しない
  • 創業遺伝子の伝承と「感じる教育」
  • 「満足バンク」という試み
  • クロネコ、海を渡る

91歳の会社

古森 こんにちは。今日はお忙しいところ有難うございます。「何か良いもの、ヒントになるもの」を世の中に発信したいという思いで、この対談を続けております。宜しくお願い致します。

岡村 こちらこそ宜しく。こういう機会に改めて語ってみることで、何かこちらにも気づくものがあるはずだと思っています。

古森 今やクロネコの車を見かけない日はないと言っても過言ではないくらい、御社の存在は日本社会全体にしみ込んでいるように思います。長い時間をかけて、ここまで来られたわけですね。

岡村 ええ、今年91歳を迎える会社です。創業者の小倉康臣が数寄屋橋に「大和運輸」を立ち上げてから、既にそれだけの時間がたちました。宅急便事業だけを見ても、もう35年になります。

古森 エピソードには事欠かない会社でしょうが、社の歴史を思うとき、岡村さんとしてはどのようなことが想起されますか

岡村 私も創業時から見てきたわけではありませんが・・・。入社して以来強く求められてきたのは、「お客様の立場で物事を考える」「世の中の役に立つ」「人に迷惑をかけない」といったことですね。社会的公器としての企業は、そうでないと続かないという教えです。

古森 しごくもっともなことですし、文字として書くのもたやすいでしょう。でも、教えとして人々の心に深く残していこうとしたら、決して容易なテーマではないと思います。

岡村 これらの教えには、創業者の小倉康臣の原体験が背景にあります。小倉は24歳の時、当時(大正2年)の勤め先だった会社で、工場長の職務から突然解雇されているんですね。かいつまんで言うと、小倉は一緒に働いていた人々を大事にしたために、「あいつは赤だ」という風評を流され解雇されてしまったわけです。

古森 大変な理不尽を経験されたのですね。

岡村 それが小倉の原点にあって、「こういうことがない会社を作りたい」という切実な思いが、創業時の彼を動かしていたのだと思います。

古森そういう思いが、その後の幾多の困難を乗り越えていくうえでの力にもなっていたのでしょうね。

岡村 チャレンジの連続だったと思います。最初は関東一円のネットワークを敷きながらも、なかなか成長の波に乗れませんでした。運送業者という立場は弱く、運賃にしてもメーカーさんなど荷主企業の要請に抗うことは困難でした。

古森 理念を持って事にあたっても、世間の風は冷たいわけですね。そこからの転機は、何だったのでしょうか。

岡村 それが当時、「戦略的な飛び降り」と表現された宅急便事業の立ち上げです。百貨店の配送事業をやっていた関係で、個人の自宅に荷物を運ぶということに関しては強みがありました。ただ、色々同時に手がける余裕はなかったわけで、白物家電の配送ビジネスを全部断って、二代目社長の小倉昌男は宅急便に賭けたのです。

古森 大変な賭けですね。

岡村ええ、但し単なる無謀な賭けというわけではありません。小倉なりに戦略や勝算はありました。その後の日本の経済発展と物流市場の本質的ニーズの動きを読んでいたのです。

古森 なるほど。しかし、先行きを読んでみたからといって、現業の中核ビジネスを捨てて未知の可能性に賭けるというのは、誰にでも出来るものではありません。やはりその根底にある事業への思いのようなものがあってこそ、賭けることも出来たのでしょうね。