C-Suite Talk Live 第26回 タイコ エレクトロニクス ジャパン合同会社 代表取締役会長 岡本 実さん | マーサージャパン

C-Suite Talk Live 第26回 タイコ エレクトロニクス ジャパン合同会社 代表取締役会長 岡本 実さん

ライブラリ / 「経営×人・組織」視点の対談 C-Suite Talk Live / 第26回(1/4)

第26回 タイコ エレクトロニクス ジャパン合同会社 代表取締役会長 岡本 実さん
Calendar2010/07/26
C-Suite Talk Live 第26回 ~対談エッセンス~
  • 電子部品業界の先駆者
  • 12歳、単身アメリカへ渡る
  • 再び北米大陸へ
  • マネジメントとしての内なる変化
  • “Always go forward, never turn back”
  • イノベーションは組織の力で
  • 親が子供に残すべきもの

電子部品業界の先駆者

古森こんにちは。今日はお時間を頂きまして本当に有難うございます。この対談シリーズ、何か良いもの、ヒントになるものを発信し続けていきたいと考えております。岡本さんのお話を伺うのを、楽しみにしておりました。よろしくお願いします。

岡本 どうぞよろしく。

古森 まず、御社のことについて簡単にお伺いできればと思います。電子部品の世界で御社のお名前を知らない人はいないと思いますが、あらためて岡本さんの視点でお話し頂ければ。

岡本 私どもは昨年、日本法人4社を一つにまとめて「タイコ エレクトロニクス ジャパン」になりました。この会社の起源はAMPですが、日本AMPは1957年の創立です。日本に単独参入した外資系企業では、最初の数社に入ります。100%外資がまだ自由化されていなかった時代で、当時の通産省の特別認可で承認されたのです。

古森日本における外資系企業のさきがけだったのですね。

岡本 製品的には電子部品ですが、例えば携帯電話やテレビ、自動車など身近な製品の基礎部分に独自のテクノロジーを提供しています。コネクター分野では、おかげさまで世界でも日本でもNo.1です。有意義な立場を築けたと思っています。

古森 多くの人が想起しやすい例をあげれば、USBメモリのコネクター部分のオリジナルデザインは御社のもので、それが世界標準として採用されたのでしたよね。

岡本 ええ、そうです。

古森 様々な産業におけるイノベーションを、電子部品という角度から支えてこられたのですね。

岡本そのような自負があります。電子部品というとイメージしにくいかもしれませんが、機械的なものですので、必要な電気特性を出すのは意外に難しいことなのです。人が手で触るので壊れたり、間違ったりすると困るということで、色々と見えない工夫があります。それが、派手さはなくてもイノベーションの土台になっています。

古森 イノベーションというと、何かとんでもないものを想像することも多いですね。実際は、物事の深さだったり、利便性だったりなど、やわらかい部分にも様々な新しさがありうるのだと思います。

岡本 技術的な本当の意味の革新と、顧客の利用の仕方、アプリケーション的なものの工夫を組み合わせると良い商品になります。ですから、顧客と共同開発していかないと、本当に良いものはできません。当社も、日本で長く貢献してきたこともあってか、ある意味「日本の会社」と見て頂ける場面が多いのは、本当にありがたいことです。そういう関係を大事にしていきたいと思います。

古森 先駆者は、顧客とともに歩む・・・。

12歳、単身アメリカへ渡る

古森 私、岡本さんご自身のキャリアというか、生き方のような面にも僭越ながら大変興味を持っております。少し、お聞かせ願えませんか。

岡本 私がこの会社に入社したのは、1972年でした。それ以来、短期間のバイパスはありましたが、基本的にこの会社でここまでやってきました。

古森そもそも、御社に入社されるに至った経緯というのは、どのようなものでしょうか。差し支えなければ。

岡本それは・・・。かなり若い頃からの話もしなければなりませんが。

古森 是非、お願いします。

岡本 私は、12歳の時に一人で米国に渡りましてね。

古森12歳の少年が一人でアメリカへ。いったい、何があったのでしょうか。

岡本 いえいえ、何かがあったというわけではなくて、そうしたいと思ったのですよ。私は広島出身ですが、広島では長男が家を継いで広島から出ませんから、次男は遠いところへ行って自分を築きあげるべきだと思っていましたので、「可愛い子には旅をさせろ」と両親を説得しました。

古森 しかし、遠いといってもいきなりアメリカまで行きますかね。

岡本 東京くらいかなと思っていたら、もっと遠くなりました(笑)。まあ、結局は負けず嫌いなところがあったのですね。何よりも、「ベストでいたい」という思いが強かったと思います。英語も、それくらいの年齢までには身に付けないと手遅れになる、と思っていました。

古森 2010年の今聞いても、たいへん「個」のしっかりした少年ですね。それで、渡米した岡本少年はどうなりましたか。

岡本 未成年者でしたし、渡航が自由化されていない時代でしたので、米国にいた親戚に保護者になってもらって、なんとか生活が始まりました。オレゴン州のポートランドで7年生から入って、高校卒業までそこにいました。

古森 便利な都会ではなく、アメリカの田舎でまず根を下ろされたのですね。

岡本 その後、スタンフォード大学に行きました。私はそれなりに自信家でしたが、スタンフォードでは「上には上がいる」ということを知りました。世界を知った、という体験ですね。

古森 自ら飛び込むことで、持ちえた世界観ですね。

岡本 一方、「分野を選べばやれる」とも思いました。大学2年のときに日米学生会議があって、私は米国側から参加しました。そういうきっかけもあって、最初は米国で就職することを考えていたのですが、「日本人だから、やはり帰ってやってみようか」と思うようになりました。

古森 また新たな思いが芽生えてきたのですね。

岡本 それで、日本のある石油メーカーの人事の方とLAでお会いして、「何がやりたいか」という話になりました。私は、「こういうことをやりたい」と率直に話したのですが、するとその人は、「日本の会社ではそんなことはできない」と言うのです。一番若いマネージャーでも28歳、新卒でそんなことは無理だと。

古森 でもそうやって、すぐに日本の企業の方と会って話をしてみるところが、岡本流という感じですね。

岡本その後、当時の米国のAMPに行って面談を受け、最終的にそこで入社を決めました。日本のオフィスは、その頃は六本木の明治屋のビルにありましたが、その頃から自然に「とにかく社長になる」と思っていましたね。最初からそう思っていました。

古森 もう最初からそのように・・・。

岡本 できるだけ早く、どんどん上に行こうと考えていました。23歳で入社して、25歳で管理職になって、33歳で営業本部長になって、次は社長までという考えでした。実際、仕事をどうやってやるかを知り、かつ、自分でどうやれるかを試していくことで、最初の10年くらいは順調に成果を出せていました。

古森 何か転機が?

岡本10年目で、壁にぶつかりました。自分自身の力はそれなりのものがあったと思うのですが、「人を使う、組織を使う」というところが、足りなかったのですね。当時私は、営業本部長です。部下は40歳~50歳代が多くて、結構生意気にも映ったでしょう。ちょうどその頃、値上げをする必要に迫られたのですが、そこで組織をうまく動かせなくて困りました。これは、勉強しなければいけないと思いましたね。

古森 プレイヤーからマネジメントへの壁、ですね。

岡本 最初の10年は、いうなればVertical(垂直)に自分を伸ばして、その次の10年は、Horizontal(水平)に伸ばすということをその時意識しました。マネジメントとは何か。人をどうやって尊敬しつつ動かすか。組織を生かして、一人でやる以上の成果をあげるにはどうすればよいか・・・

古森 12歳で単身渡米した個性あふれる少年が大人になって、個人の枠を超えて何かをする必要に迫られた。そういう、人生における大きな転換点だったわけですね。

岡本 実さん プロフィール
1972年に米スタンフォード大学経済学部をご卒業され、日本AMP社(当時)に入社されました。一時期を別の会社で過ごされた他は、ほぼ一環して同社でキャリアを積み上げて来られました。1995年に、日本AMP社(当時)の社長にご就任。AMP社は、1999年にTycoグループ入りします。
岡本さんはその後も経営の要職を歴任され、1999年に日本法人の会長 及び 米国本社の副社長として全世界地域のコンピュータ・家電ビジネスをご担当、2001年には全世界地域の通信ビジネスが加わり拡大。2006年に米国本社の上級副社長となり、2008年にはさらに全世界地域コマーシャル及びインダストリアル(商業・産業機器ビジネス)をも加え、年商3000億円強、従業員数3万5,000人のグローバルビジネス部門の社長に就任されました。今年(2010年)より、米国本社のSenior Advisor to CEOになられ、日本法人の会長を兼務されています。