C-Suite Talk Live第41回 オーウェンス コーニング ジャパン 株式会社 石井 秀樹さん

ライブラリ / 「経営×人・組織」視点の対談 C-Suite Talk Live / 第41回(1/4)

第41回 オーウェンス コーニング ジャパン 株式会社 人事総務部 部長 石井 秀樹さん
Calendar2011/03/01
C-Suite Talk Live 第41回 ~対談エッセンス~
  • SONY時代に体感した日米の違い
  • 「ものを言う」ことをリスペクトする文化
  • 入社式の是非~オピニオン・ダイバーシティの視点
  • 全社員の継続的成長を求める会社
  • 実践的な英語力の向上が必須
  • 学校教育の場にも伝えていきたい

SONY時代に体感した日米の違い

古森 本日は、お時間を頂きまして有難うございます。この対談シリーズ、石井さんにもよくご参加頂いております「C-Suite Club」から派生して2009年に始めたものです。おかげさまで、色々な世界で活躍中のリーダーの方々にご参画いただいております。人や組織に通じる分野で、「何かヒントになること」を発信し続けていきたいと思っております。よろしくお願い致します。

石井 どうぞよろしくお願いします。昨年冬のC-Suite Clubも面白かったですよ。私も意見を申し上げようと手を挙げたのですが、時間がきてしまったので言えずじまいでしたが・・・。

古森 あの時は失礼致しました!石井さんにはいつも積極的にご発言頂いて感謝しております。やはり、何事につけ、石井さんは「私はこう思う」という部分が明確におありですね。僭越ながら、以前からそのように感じておりました。そのあたりの背景から、少しお話しいただけないでしょうか?

石井 なるほど。そういうことでしたら、私の最初の勤務先であったSONYでの経験をお話しするのが良いと思います

古森 是非、お願いします。

石井 私は大学を卒業して、すぐSONYに入社しました。なぜSONYだったかといいますと、当時、「ものづくり」という点で共鳴していたからです。仕事をするなら、「ものを作って売る」という経験をしたほうが良いかな・・・と、根源的に思っていました。

古森そこに、理屈を超えて石井さんご自身の仕事観がフィットしたのでしょうね。

石井 学生時代のゼミが労働経済で、人事的な分野を研究していましたので、人事を希望しました。そうしたら、SONYでの最初の仕事も人事分野になったという経緯です。最初のうちは、工場で人事をやっていました。

古森 製造業で工場人事というものは、人事パーソンのキャリアにおいて大きな意味を持つと聞きます。

石井 色々と勉強になりました。その後も人事の分野にいたのですが、大きな転機は、米国への赴任でした。30歳の時です。SONYでも歴史のあるカルフォルニアのサンディエゴ工場でした。当時、サンディエゴが北米のエンジニアリングとR&Dヘッドクオーターだったので、主要拠点のひとつでした。私の担当範囲は、米国の6州にあった工場とR&Dの拠点のサンノゼ、シリコンバレーとコロラドのボルダーでした。

古森 ちょうどシリコンバレーが、新しい歴史の担い手になっていく時代ですね。そこで暮らして仕事をして、気づいたことって、どんなことだったのでしょうか。

石井 日本にいた頃は、「世界のSONY」と言っていました。現に、製品面ではそうだったと思います。ところが、人事という角度で見ると、また違ったものが見えてきました。端的にいえば、当時のSONYの人事というのは、米国の人事と比べるとかなり違うな、と思ったのです。

古森 例えば、どんなところでしょうか。お話し頂ける範囲で結構ですが。

石井 そうですね・・・。日本にいた時は、SONYのDNAが人事にも浸透していまして、「他社のやらないことを先駆けて」という意識が強かったのです。そのことに人事も自負を持っていました。例えば、管理職の年俸制を他社に20年くらい先駆けて導入したとか、採用時に大学名を伏せるとか。

古森 たしかに、日本の中で見ると、SONYの人事というのは先端を行っているイメージがありましたね。私もそういう印象を持っています。執行役員制度も、SONYが日本の先駆者でしたね。

石井 ところが、米国に行って現地の情報を得るにつれ、色々な違いが分かってきました。例えば、採用時に大学名を伏せるのは先進的だと思っていたのですが、米国では「ナンセンスだ」と言われました。新卒初任給は東大であろうとどこであろうと変わらないのが日本企業の常識だったわけですが、そもそも米国では、それがありえない考え方だと。個々人が一生懸命投資をしてきた大学教育に対して、それを無視するのはおかしいというのが米国の常識でした。

古森 日本と米国、それぞれに異なる常識があって、その違いに気づかれたのですね。

石井 もちろん、「日本の常識が駄目で米国が良い」などと申し上げるつもりはありません。ただ、米国をはじめとするグローバル市場で勝負していく時代になると、否応なしに、米国的な考え方も理解していかなければならないな・・・と、衝撃を受けたわけです。

古森 そういう、人事パーソンとしての一種のカルチャーショックの中で、石井さんはどういう行動をとられたのですか。

石井 とにかく、自分から動くようにしました。当時、サンディエゴは「テレコミュニケーションバレー」といって、その関連のベンチャーがたくさんありました。色々な考え方をする人事パーソンもたくさんいましたね。それで、自分でサンディエゴ内の企業に声をかけて、有志でブレックファースト・ミーティングをするようになりました。大体、40社くらいから人事パーソンが参加してくれました。

古森 まずはご自身でイニシアティブをとって、人のネットワークを作っていかれたのですね。

石井 はい。日本人は私だけだったんですけれども、非常に活性化した企業が多くありまして、刺激的な情報に触れることができました。大企業があって関連会社があって、中小企業があって・・・というのが当時の日本の典型的な産業界の構造だったのですが、米国では、会社名ではなく仕事でマーケットがあって、個々人のバリューもそこで決まるという世界でした。日本とはかなり違うと実感しましたね。

古森 今でこそ、そういうことは多くの人々が知っていますが、当時はまさに「そうなのか!」の連続だったことでしょう。もちろん、今行けば今なりの新しい発見があるのが、シリコンバレーだと思いますが。

石井 人事のテクニカルな側面、例えば賃金体系がどうかという話なども、たくさんの事例に触れることが出来ました。あれは、今となっても私の大きな財産ですね。これからグローバル経営を進めていくうえで、企業組織や人事がどうあるべきか・・・ということを、深く考える良い機会になりました。