C-Suite Talk Live第46回 NPO法人 クロスフィールズ 小沼 大地さん、 松島 由佳さん

ライブラリ / 「経営×人・組織」視点の対談 C-Suite Talk Live / 第46回(2/4)

第46回 NPO法人 クロスフィールズ 代表理事 小沼 大地さん、理事 松島 由佳さん
Calendar2012/01/19

クロスフィールズ設立に至るまでの道のり

古森 活動を開始されたのは、2011年の初夏でしたかね。

小沼 2011年のゴールデンウィーク頃でした。

古森 計画自体はずっと前からですか。

松島 本格的に検討し始めたのは、2010年の秋ぐらいからです。お互いこれまでやってきたことなどもありまして・・・。このアイディア自体は、小沼がここ3~4年温めてきたものです。

古森小沼さんが代表という形はとっていますけれども、要するにお二人の共同創業みたいな形ですね。それぞれに思いがあって。

小沼・松島 そうです。

古森 それぞれの、ここにいたるストーリーを簡単にお聞かせ頂けますか。まずは松島さんから。

松島 さかのぼると15年ぐらい前の話になるのですが、当時から私の父がNGOの経営をしておりまして。彼は企業の中で働いてもおりましたが、あるきっかけで内戦直後のカンボジアの医療問題に行き当たりまして、病院を作ろうということでNGOを立ち上げたのです。

古森 お父様がカンボジアで医療NGOを。

松島はい。サラリーマンを続けながらも、全く異なる世界の人々と一緒に物事を創り上げることや、実際に病院が出来て、現地の子ども達の役に立てる仕事が出来ることに、非常に意義を感じ、どんどんのめり込んでいっていました。私はその背中を見ていて、楽しそうに仕事をしているし、社会的意義を感じて時間を使うっていいな・・・と憧れていました。ただ、十分にお金が集まりにくいとか、働く人が集まりにくいとか、色々と苦労は多かったようです。

古森本当にご苦労が多かったことと思います。

松島 まだ「NPO・NGO」で働くこともあまり浸透はしていなかったですし、ましてや「社会起業家」という言葉もない時代ですから、私が友人に話しても、なかなか理解されないこともありました。良い活動が、必ずしも正しく認知されるわけではないのだと知りました。価値観として社会貢献活動が浸透していない世の中って、本当にもったいないなと思いましたね。

古森子供心に、矛盾やフラストレーションを感じておられたのですね。

松島 また、NGOこそ、どのように寄付を集め、それをどのように使い・・・としっかり考え行動していくことこそが継続的な活動に繋がるので、プロフェッショナルな意識を持ち経営していくことが大事なのではないか・・・と、感じていました。

古森 多感な時期を、そういう問題意識を持って過ごして来られた。

松島 もっとも、中学生の頃から問題意識として明確になっていたわけではありません。漠然と「どうすれば良いのか」と感じていたところ、大学生になって、ようやく言葉や動きになってきました。それで、「かものはしプロジェクト」というNPO法人の立ち上げ期のお手伝いをしました。

古森 ずっと感じてきたものが、形になりはじめた・・・。

松島 はい。かものはしプロジェクトに関わる中で、やはりNPO・NGO組織をリードする層がビジネス的な視点を持って、色々なビジネスパーソンを巻き込んでいく意義を痛感しました。その頃から、クロスフィールズの活動につながる考えが自分の中でクリアになってきました。

古森 大学を出られてから、コンサルティング・ファームに行かれていますね。BCGですね。

松島 はい。

古森そこでビジネスを学んで、子供の頃から暖めてきたものと合わさって、今があると。

松島 そうですね。そういう振り返り方をすればきれいにつながった道に見えますけれども、その都度は、いろいろ悩みながらではありました。

古森 ここに、小沼さんのストーリーが合わさると・・・。

小沼 そうですね。私に関して言いますと、今につながる原体験というのは青年海外協力隊です。大学卒業後の2005年の時です。

古森 大学を出てすぐそちらへ。いわゆる就職活動はしなかったのですか。

小沼 ほんの少しインターンみたいなものはやりましたが、やはり違うと思いました。生意気に聞こえるかもしれませんが、自分はずっと部活をやっていたこともあり、「こういう世界はたぶん、今のままでもなんとかやっていけるだろうな」と思ったわけです。だったら一度、全然違う経験をして、「自分の価値観をぶっこわす」ということをやってみたいと思いました。

古森 「ぶっこわす」! いいですねぇ。

小沼 それで、とりあえず留学をするのか、それとも何か別の形にするのか、いずれにしてもとにかく一度外に出てみようと考えていました。それで色々とめぐり合う中で、「これは面白いな」と思ったのが、青年海外協力隊だったのです。「よし、これで行ってみよう」と思いました。

古森人生の分かれ目の瞬間で、決断が速いですね。行ったのは何年間ですか?

小沼 約2年間ですね。

古森 どちらのほうに?

小沼 中東のシリアに行きました。首都ダマスカスから南にマイクロバスで3時間ほど行った、クネイトラという、ゴラン高原の町にある小さな村に住んでいました。

古森 ゴラン高原! 危なくないですか。

小沼 PKOが派遣されたところで、自衛隊の方々と一緒に・・・。

古森 ゴラン高原で何をされたのですか。

小沼 紆余曲折があるのですが、前半は、シリアのNPOに所属して働いていました。

古森 現地のNPOに。

小沼そうです。大統領夫人が作っていたNPOなのですが、そこがやっていたマイクロファイナンス事業のモニタリングみたいなことをやっていました。

古森 なるほど・・・。

小沼 それが前半です。ここからが紆余曲折の話なのですが(笑)、青年海外協力隊における私の本来のミッションは、「環境教育」ということだったのです。ところが、そのプロジェクトが発足してから時間がたっていまして、私が着任したときには環境分野の活動はストップしていたのです。

古森 あらら・・・。

小沼 それで、そもそも「お前は誰だ」ということになりまして。お前なんか来る予定がない、「Who are you?」というところから始まったのです。

古森 支援するという善意で来たのに、なぜか自分を現地でエスタブリッシュするところから始めなければならなかった。それは厳しいですね。

小沼 そうなのです。それで、「とにかく飛び込むことが大事だ」と思っていましたので、彼らがその時進めていたマイクロファイナンス事業に入れて頂いたのです。半年間くらい取り組んで、成果も出てきました。ところが、青年海外協力隊の事務局に「マイクロファイナンスでこんな成果が出ています」と報告したら、「環境教育で行ったのに、何をやっているのだ?」という反応だったのです。

古森 それはショックですね。

小沼 ええ。「即刻、事業内容を変えなさい」という指示が来ました。それで、配属機関に「こういう事情なので、環境教育もやりませんか」と持ちかけたのですが、折り合いがつかず・・・。結局そこを半ばクビになるという、なかなかありえないことが起こったわけです。

古森 途方に暮れますね。

小沼通常ではありえないことが起きまして。そこで、シリアで就職活動を始めました。

古森 シリアで就職活動! 青年海外協力隊で来たのに、就職活動ですか。

小沼 それで、自分でつくった企画書を持って、シリアの民間企業や政府系機関を歩いて回って、一緒に環境教育プログラムをやってくれるところを探しました。そうすると、ダマスカス市の行政がやっている環境局というところがありまして、そこが「一緒にやりたい」と言ってくれたのです。そこに配属換えとなり、一年ちょっと環境教育のプロジェクトをやりました。

古森 自分でプログラムを売り込んで、現地のスポンサーを見つけ、そこで実行までやったのですね。

小沼 はい。実は2010年の暮れにシリアに旅行に行ったのですが、このプロジェクトは、その後も後任の青年海外協力隊員が4代に渡って引き継いで継続してくれていました。これは本当に嬉しかったです。

古森 それで、日本へ戻ってきて。

小沼 大学院に行って、それからマッキンゼーです。

古森 なるほど。マッキンゼーで経営目線の仕事をしっかりとやって・・・。

小沼 今に至る感じです。

古森 この「留職」の仕組みを思い至る過程というのは、どういう感じなのでしょうか。

小沼 青年海外協力隊の前半で所属していたNPOが着想の原点になっています。ビジネス的な視点と社会課題解決が両立するのだということを、目の当たりにしましたから。しかも、彼らはそれを楽しんでやっていました。

古森 生きて動いている新しいモデルが、目の前にあったのですね。

小沼 それを見ていて、「ビジネスの世界と社会的価値を出す世界とが一緒になると、何かすごいものが生まれるのではないか」という直感がわいてきたのです。頭ではなく、シリアでの人々との出会いの中でそれを感じたのです。「これだ!」と思いましたね。

古森 そのひらめきを抱いて、マッキンゼーへ・・・。コンサルティングの仕事をしながらも、「これだ!」というものはずっと胸に秘めていたのですね。

小沼 そうですね。「これだ!」とひらめいたものを実行するという方向性は、シリアを去る段階で決まっていましたから。

古森 お二人ともマネジメント・コンサルタントとして修行をして、次はもうクロスフィールズなのですね。それぞれご経験の中身や文脈は違うものの、何かこう、ベースとなる「これだ!」というのがあって、ここに至っておられますね。

小沼 骨太の気持ちでしたし、だからこそお互いに「一緒にやろう!」となったと思います。