企業のグローバル化による中央集権化は必然か? 

海外グローバル企業は中央集権化を志向

海外グローバル企業は近年、グローバルガバナンスの発展形として、さまざまな中央集権化(Globally Centralized)を進めている。経営戦略やサービス・商品はもちろんだが、人事面でも例外ではなく、以前はエグゼクティブの任免や評価、報酬をグローバル本社が決めていたものが、近年は一般従業員までおよびつつある。その背景は何だろうか?

グローバル中央集権化の背景

要因の一つは急速に進む経済のグローバル化である。先進国、発展途上国によって、売れるもの売れないものが明確に分かれていた時代とは違い、どの国に行っても同じブランドがあり商品構成もほとんど変わらない。もちろん売れ筋などは中間所得層の規模によって変わってくるが、それも発展途上国への充実した海外からの投資によって、どんどん遅れた国も追いついてくる。

つまりグローバル化は各国消費市場の画一化を加速させ、同じような商品やサービス、アフターケアが求められ、その結果、社員の担うべき役割・職務、期待する行動やパフォーマンスが共通化、標準化されてくるのも自然の流れといえるだろう。

もう一つの要因は、管理機能の集約化によるコストダウンである。財務、人事、総務だけでなく、購買や生産管理なども、必ずしも一国の中で完結しないバリューチェーンを最適化するためにも業務自体を標準化する必要がある。人事制度やワークルールなども標準化の対象となる。そして、管理部門を集約化し、場合によっては国を越えて外注化することで大幅なコストダウンが実現できる。

中央集権化の負の側面

「さすが海外グローバル企業だなー。日本の大企業でもやっぱり遅れているね」と単純に感心するのは早計である。賢明なメール読者諸氏におかれては、既にお気づきと思うが、グローバル中央集権化は別のコストを生んでしまうのである。

つまり各国の全法人に事業規模に関わらず同じ業務プロセスや人事プラットフォーム、ITシステムを導入し維持しなければならない。システム導入だけであればワンショットのコストだが、各国特有のカスタマイズ部分は現地法律、商慣習、労働慣行の違いによって必ず生まれてくる。システムを理解し現地に最適化させ、さらに適正に維持し続ける人材を育成・配置し、一般社員にも浸透しなければならないのだ。

さらに世界および各国のルールは急速に変化しつつある。グローバル集権化を支える仕組みは、変化にも機敏に対応していかなければならず、そのコストと時間の投資は膨大である。仮にこのコストを出し渋るとどうなるだろうか?それは中途半端な中央集権化に終わる事につながり、グローバル本社が正しい情報のもとに意思決定できなくなる恐れや、グローバル経営戦略が機敏に各国で実行されなくなってしまう恐れがでてくる。

また、グローバル集権化は、各国の自律性を喪失させ、現場のオペレーション効率を低下させる側面も見逃せない。コンサルティングの中で私もしばしば経験するが、お客様が「まだグローバル本社から指示が降りてこないので・・・・」という外資系で頻出する場面がある。日本法人に強いリーダーがいれば別だが、多くの場合待ちの姿勢で、自主性をともすると喪失しがちなのである。そこには一種の諦観すら感じられる。現地社員のモチベーション向上や優秀なタレントに活躍してもらうための人事プラットフォームのはずが逆の効果しか生んでいないのである。

グローバル中央集権の効果と投資の分析

分かりやすくグラフとしてイメージしてみよう。図 1 をご覧頂きたい。

図1: グローバル中央集権化の効果と投資のイメージ

グローバル化経済のもと中央集権化は一定のブランディング強化や効率化、コストダウン効果をもたらすのは疑いがない。これを「効果性」という曲線で示した。一方そのための業務標準化や人材育成・マネジメントの統一、ITシステム導入コストを「投資」の曲線で示した。

これは何社も拝見してきた私の仮説であるが、中央集権化も一定レベルを超えると「効果性」は高原状態になる。そして過剰になると、むしろ現場の混乱や指示待ち状態を招き、「効果性」は低下していくのではないだろうか。特にM&A後のようにただでも混乱しやすい状況下では、現場の業務が一時停滞したり、人材の大量退職が生じるなど著しい負のインパクトを及ぼすこともある。一方、「投資」サイドは、中央集権化を進めるほど意思決定の失敗などの負の体験も重なり維持コストの急速な増加を招いてしまう。

大切なのは、「効果性とコストのちょうど良いバランス」を見極める事ではないだろうか。

組織・人事における「ちょうど良いバランス」とは?

図 2 をご覧いただきたい。私が現在考える「ちょうど良いバランス」のイメージである。

図2: グローバル共通/ローカル プラットフォーム

まずグローバル共通のプラットフォームである。グローバル経営戦略は各国共通に徹底されなければならないので、社員の役割(Roles & Responsibilities)は、職種および責任階層ごとに共通のカタログを作り、国に関わらず役職者の共通言語として浸透させていかなければならない。役割に紐付く評価も、その役割をちゃんと果たしたかどうかを測るものなので当然共通化する必要がある。

読者は意外に思うかもしれないが、ここで気をつけなければならないのは、行動よりもパフォーマンスマネジメント(業績評価)の方である。各国によって自社のブランドポジションは異なるので、業績指標(KPI)は当然異なる。進出初期の段階では、どれだけ消費者に認知され受け入れられるかが重要であり、ブランド浸透にともない営業上の利益を重視するKPIへ転換する。

報酬は評価を反映する方法とポリシーレベルに止める。これは賛否両論あろうかと思うが、報酬の水準そのものは、各国における自社の採用競争力、労働市場における候補者の質・量によって柔軟にローカル採用の責任者が立案すべきだ。

既にローカルプラットフォームの話に入っているが、報酬水準設計自体はローカルに任せた方が良い。あとは投資としての人件費といつまでに回収するかの事業計画レベルの話として考えれば良い。また、ローカルの法律、労働慣行への準拠のため、また優秀な人材を流出させず活躍し続けてもらうために、新しいグローバル本社が決めた報酬の枠組みへ移行させる方法、不利益を緩和する経過措置などは、現地の経営層と緊密に対話しながら、現地のHR責任者が立案するのが望ましいといえる。

さらに「思いやりのマネジメント」も現地ならでは展開できるものであろう。冷徹なグローバル経営戦略で高いミッションや目標達成を求めるからこそ、出産などのライフイベントや疾病時のセーフティネット、現地の社会習慣に即した「思いやり」は会社へのロイヤルティを維持するうえでも大切なのである。

 

最終的なバランスは各業界、各社で違う

基本的な考え方のみ今回は示したつもりであり正解ではない事を、読者諸氏は既に見抜いておられるであろう。大切なのは基本セオリーを知って自ら考える事である。例えば食品業界など典型的だが、非常にローカル性が強い。マーケティングからの商品づくり、原料調達から加工、流通、販売もローカルならではの特性がある。つまり、事業を強くするにはグローバル中央集権は基本でも、よりローカルの自由度を高める必要がある。一方、自動車やスマートフォンなどの耐久消費財は、グローバル中央集権の方が事業を強くできる可能性が高い。

これは会社のポリシーや哲学、企業文化によっても異なってくるだろう。他社での強みが自社の強みとは限らない。最終的には自ら考え答えを出していく事。そしてトップ企業でも 2~3 歩遅れている日本企業は、海外の事例を冷静に見極め、選択的に良い施策をスピード感をもって取り込んでいく事が重要である。

欧米企業は「えーそんな?」という事も実際にやったりするが、失敗を認めて転換するのも早い。先行事例があるにも関わらず、今の日本企業のスピードでは、いつまでたっても追いつけないかもしれない。その意味では、海外も見据えた国内改革こそが日本企業の本質的な課題といえる。そして、成功要因はいつの時代でも日本はそうだが、外圧である。海外企業の買収はまさに自ら外圧を作り出す。その中から改革の道筋を見出し、次世代の日本企業のあり方を再構築できるのではないかと考えている。

Related Solutions
    Related Insights